« January 2006 | Main | March 2006 »

February 28, 2006

【やなか住ネコ・墓碑拝観】愛猫・愛犬の墓碑-谷中霊園

yanaka060228_72yanaka060228_2_72   28日-梅の花に見とれて谷中霊園を歩いていたら、愛猫、愛犬の墓碑に出合いました。

 ご家族の墓碑の両脇に、愛猫と愛犬の墓碑が、まるで狛犬のように置かれていました。

 この墓碑を見て、谷中4丁目の永久寺にある明治初期の戯作者で新聞記者だった仮名垣魯文による「猫塚」と「山猫めをと塚」を思い出しました。飼い猫や飼い犬を家族同様に愛する気持ちは、今も昔も同じようです。

February 27, 2006

【やなかの自然】梅の花が開花-谷中霊園

yanaka060227_72  27日-谷中霊園の梅の木が花を咲かせています。yanaka060227_2_72 葉を落とした枝や幹のみの広葉樹、濃い緑の葉をつけた常緑樹の中で、白やピンクの花をつけ、春の訪れが近いことを知らせているようです。春は、日一日と樹木の表情の変化がわかりやすい季節。霊園の春をたくさん見つけ、五感で味わいたいものです。

February 26, 2006

【やなかSNAP】東京芸術大学の卒業・修了作品展

yanaka060226_72yanaka060226_2_72  26日-東京芸術大学の第54回卒業・修了作品展が26日まで、同大学の上野校地と東京都美術館で催されました。

 写真は、工芸科鍛金専攻の菊池典子さんの作品です。一枚の銅版を叩いて子どもの姿にしたもので、男の子と女の子が縄跳びの縄を回しています。表面のすべすべした質感とザラザラした質感は、叩く金槌の表面が違うのだそうです。ズボンを履かせ、帽子を被せています。男の子のズボンの青色は緑青をふかせたもので、薬液を塗って赤色を出したのだそうです。菊池さんは、「銅版は叩けば叩くほど張りがでます。卒業制作は、溶接などの技術を使うことなく、敢えて技術を必要とする一枚の板で作ることにこだわりました。色も限られた色を効果的に使うことを心がけました」と説明してくれました。祖母の死で落ち込んでいたときに、教育実習先の子供たちに元気をもらい、決して一人ぼっちではないことを感じたのだそうです。さらに運動会があったことから、つながっていることを表す縄跳びを題材に選んだということでした。

February 25, 2006

【やなか住ネコ】ネコ道を行く黒白ネコ-千駄木2丁目

yanaka060225_72  25日-夜路地を歩いているときに、塀の上を歩いている黒白ネコに出会いました。「待って、待って」と声をかけると、安全地帯まで足早に進んでから、余裕で振り返りました=写真。高いところから見下ろされ、観察しているのは人間ではなく、ネコのような・・・そんな気持ちになりました。

February 24, 2006

【やなか・かわら版】東京藝術大学の卒業・修了作品展-26日午前中まで

sotsuten541 24日-東京芸術大学の第54回卒業・修了作品展が開催されています=写真左はポスター。会期は26日までで、最終日は正午までです。入場無料。

 会場は、同大学の上野校地(台東区上野公園12-8)と東京都美術館(台東区上野公園8-36)です。

 制作者が作品の説明をしたり、見学者が気に入った作品の作者の寄せ書き帳に感想や、個展のお知らせを送ってもらおうとアドレスと名前を書き込んだりしている姿が見られます。

February 21, 2006

【やなか界隈】「おたぬきさま」の鎮護堂-浅草

yanaka0221_2_72yanaka0221_3_72  21日-鎮護堂(ちんごどう・台東区浅草2-3)は、「おたぬきさま」で親しまれているお堂です。

 浅草寺境内に住みついた狸のいたずらを鎮めるために、「狸社」を祀ったことが、はじまりです。yanaka0221_72

 浅草寺貫首の唯我韶舜(ゆいがしょうしゅん)大僧正の発願によって1872年(明治5年)に建てられ、福徳を願う参詣者が多いことから、一般にも開放されたそうです。

 1883年(明治16年)、現在の場所にお堂を移して建て、名を「鎮護堂」と改めました。現在の堂宇は、1912年(大正2年)に再建されたものです。

 毎年3月17・18日の祭礼は、「鎮護大使者御祭典」の幟が奉納され、神楽ばやしが流れる中で、「地口行灯(じぐちあんどん)」が並ぶのだそうです。

 「おたぬきさま」は、防火、盗難除け、商売繁盛の守護神として親しまれています。

February 17, 2006

【やなか界隈】テプコ浅草館-浅草の資料も

yanaka060217_2_72  テプコ浅草館は、浅草をテーマにした体験空間(2階)や浅草についての飼料や書籍が集められた浅草文庫(2階)、貸しギャラリー(3階)があります。入場無料・月曜日休館。yanaka060217_72

 3月26日までは、「浅草の語り部 鈴木としおが見つめた浅草」展が1階ギャラリーで催されています。戦前から撮り続けた三社祭やにぎわい、浅草にゆかりのある著名な人たちを収めた写真が1階ギャラリーで催されています。

 また、「鈴木としおの浅草ばなし」をテーマに講演会も3月12日日曜日午後2時~3時30分まで、同館3階ホールで催されます(入場無料)。

 お問合せ先は、テプコ浅草館・電話 03-5827-3800です。

February 16, 2006

【やなか百景】ショーウィンドウに白梅-文京区根津2丁目

yanaka060216_72 yanaka060216_2_72  16日-根津2丁目のショーウィンドウに、鉢植えの白梅。鈴なりにつけた花は、満開でした。

 かつてはお寿司屋さんだったところのようで、看板に「寿司」の文字。ショーウィンドウでは、蛍光灯の灯りに白い花が浮かび、思わず立ち止まって眺めました。

 丹精込めて育てた白梅の晴れ姿で、道行く人が楽しい気持ちになるようにという心づかいが感じられます。

February 14, 2006

【やなか界隈】湯島天神で梅まつり-見頃は2月下旬~3月上旬

yanaka0214_72 14日-学問の神として知られる菅原道真公を祀った湯島天神こと、湯島天満宮の境内には、合格祈願の絵馬が鈴なりに掛けられています=写真左

 8日から3月8日まで、第49回梅まつりが行われ、神輿渡御(2月26日)や祭ばやし競演、奉納演芸、野点などさまざまな催しがあります。また、宝物殿では、まつりにあわせて、「梅」を題材にした横山大観、菱田春草などによる日本画が特別に展示されています(まつり会期中は特別割引料金)。yanaka0214_2_72

 境内の梅は早咲きの樹木が2、3白梅を咲かせていましたが、蕾も固く、湯島天神公式ホームページによりますと、見頃は2月下旬から3月上旬になると予想されています。

 訪れた人の中には、わずかに花を咲かせた白梅の樹木をレンズに納めていました。その脇には、「努力の碑」=写真右。この碑は、福岡ソフトバンクフォークス監督・王貞治さんの偉業を讃えて、1978年(昭和53年)に建てられました。これは、1977年9月3日、後楽園球場で通算ホームラン756号を達成し、世界記録を樹立したことを記念して、王さんが湯島神社に白梅一樹を献木したことを受け、王さんの座右の銘「努力」の碑を正力亨さん(当時・読売新聞社社主読売巨人軍オーナー)ら有志が建てたのだそうです。

February 13, 2006

【やなか界隈】五重塔-浅草寺

yanaka060213_72  13日-浅草寺の五重塔は、回廊式の建物「塔院」が基壇となり、その上に5重塔が建っています。現在の塔は、1945年(昭和20年)に戦災で焼失したのち、1973年(昭和54年)に再建されたもので、鉄骨コンクリート造り。地上53メートルで、塔の高さは48メートル。屋根瓦は、寺社などの建造物では初めて土瓦風のアルミ合金瓦が使われました。

 塔はもとは、942年(天慶5年)頃、平公雅が安房の国守の任期を終えて京へ帰る途中に、浅草寺に参詣して武蔵の国守になれるように祈願したところ、その望みが叶ったことから、感謝して建立したと伝えられています。

 もともとは3重塔で、約100年後の1041年(長久2年)の大震災で崩壊。その際には、10年後に再建されました。その後も何度か炎上して、再建されました。1631年(寛永8年)に本堂が炎上した際には、塔は焼け残っていたにもかかわらず、家光公の命によって、本堂東側に五重塔が建立されましたが、この塔は1642年(寛永19年)に炎上してしまいました。

 しかしその後、1648年(慶安元年)に再建された五重塔は1855年(安政2年)の江戸大地震、1923年(大正12年)の関東大震災にも耐え、寛永寺・増上寺・天王寺の塔とともに「江戸4塔」と親しまれたのですが、戦災で焼失してしまいました。

 現在の塔の基壇には、霊牌(れいはい)殿・回向(えこう)室・信徒休憩室・寺務所などが設けられています。また、最上層の奉安室には、スリランカのイスルムニヤ王立寺院から戴いて奉った「聖仏舎利」が納められ、2~4層には、信徒が奉納した「五輪宝塔」が納められています。霊牌殿には、百体の聖観音像と1万2千基の永代供養のための位牌が、西側の大牌殿には、阿弥陀三尊像が安置され、1万5千基の位牌が安置できるようになっているそうです。

February 12, 2006

【やなか住ネコ】日向ぼっこの黒茶ネコ-天王寺

yanaka060211_3_72  12日-谷中の護国山天王寺(谷中7-14-8)の境内で、日向ぼっこを決め込んでいた黒茶ネコ。参拝者の足音にも動じない素振り。「おぬしなかなかやるなぁ~」。暖かい日中は、ネコに出会うことも多く、散策も楽しみが増えます。

 天王寺の起源は、日蓮上人がこの地に住んでいた関長輝(せきながてる)の家に泊まったときに、自分の像を刻み、その像を奉安したといわれていますが、一般には、室町時代の応永(1394~1427)頃の創建といわれています。江戸時代以前の創始の寺で、都内有数の古刹。江戸時代は、目黒の滝泉寺、湯島天神とともに富くじ(今でいう宝くじ)興行が行われ、「江戸三富」と呼ばれていました。

February 11, 2006

【やなか住ネコ・番外】店番ネコ-亀戸

yanaka060211_72yanaka060211_2_72  11日-亀戸駅近くのタバコ屋さんの店先で店番をしていた三毛ネコ。駅近くで、店の前は主要道路。交通量も、人通りも多いところ。店の入り口は、開け放たれた昔ながらのもの。そんな環境でも慣れたもので、三毛ネコは、店先の自動販売機にタバコを補充している店主の足下をうろついたり、通行人にお愛想で鳴いてみたり、働いてるつもりになっているのでしょうか?

February 09, 2006

【やなか界隈】招きネコ-浅草寺仲見世

yanaka060209_72 9日-浅草寺の仲見世で、招きネコの一群を発見=写真左。店内には所狭しと、右手を挙げた招きネコ、左手を挙げた招きネコ、両手を挙げたネコ、金色の招きネコ、ネコのガチャガチャ(コインを入れるとカプセルに入ったネコのフィギュアが出てくる玩具)など、ネコづくしです。

 さて、浅草寺の参道にある仲見世は、雷門から宝蔵門までの約140メートルの両側に軒を並べるレンガ造り、朱塗りの商店街で、86店舗あります。yanaka060209_2_72

 仲見世の発祥は1685年(貞享2年)頃に、境内の掃除を付近に住む人たちに義務付けるかわりに、小屋掛けの店(床店)を出すことを許したことに始まったと言われています。

 浅草広小路と観音堂前の出店との中間にあるので「ナカミセ」と呼ばれました。かつては遠路参詣に来た人に湯茶を出す腰掛け店で「お福の茶」といっていたそうです。明治になって仲見世の建物は浅草寺の支配から東京府の管轄になり、1885年(明治18年)にレンガ造り、洋風の新店舗になりました。1923年(大正12年)の関東大震災で焼失しましたが、翌1924年に再建されました。1945年(昭和20年)の東京大空襲では外構えを残して焼け落ちたため、戦後補修して復興されました。

February 08, 2006

【やなか界隈】針供養-浅草寺・淡島堂

yanaka060208_2_72yanaka060208_72   8日-浅草寺の淡島堂=写真左で針供養が行われ、和裁や洋裁など、針仕事を職業としている人やその教師などが、折れ針への感謝と供養に訪れました。針供養の塔の前に置かれた豆腐には、たくさんの針が刺されていました=写真右

 2月8日は、淡島明神のご本地仏・虚空像菩薩のお厨子の扉が開かれます。この淡島明神は、江戸時代から女性の守り神として、信仰を集めていました。たいとう名所図会(台東区教育委員会編集・発行)によりますと、かつては、この日に限り女性は針仕事をしないという風習があったのだそうです。

yanaka060208_3_72  針供養の塔=写真左下は、大東京和服裁縫教師会が50周年の記念事業として行ったもので、全国和裁団体連合会や和裁をしている人たちの協力を得て、1982年に建立されました。

 また、淡島堂は、元禄年間(1688~1703)に、現在の和歌山県にあたる紀伊国の加太神社を勧請したもので、加太神社は、「淡島」と呼ぶ小島に鎮座していることから淡島明神とも呼ばれているため、淡島堂と呼ばれています。

February 07, 2006

【やなかの自然】シダレザクラ-本行寺

yanaka060207_72   7日-昨夜降った雪が、まるでベールのように枝垂れサクラの枝を覆い、幽玄を感じさせました。この枝垂れサクラは、春にいち早く開花して、目を楽しませてくれます。

 長久山本行寺(荒川区西日暮里3-1-3)は、江戸時代から月見で知られたところで、月見寺として知られています。yanaka060207_2_72

 戦国時代に太田道灌が斥候台を築いたと伝えられる道灌物見塚があったことを記す、1750年(寛延3年)に建てられた道灌丘碑が残っています。20世日桓上人(俳号・一瓢)は多くの俳人と交遊があり、小林一茶がしばしば訪れたとされ、「陽炎や道灌どのの物見塚」と読んだ一茶の句碑も境内にあります。

February 06, 2006

【やなか百景】阿弥陀堂-両大師堂

yanaka060206_72  6日-東叡山輪王寺・両大師堂(上野公園14-5)にある阿弥陀堂です。右手前が虚空蔵菩薩像、左が地蔵大菩薩、中央奥が阿弥陀如来坐像です。

 3日の節分会の際に、御堂がご開帳されていました。老婦人が、「寅年生まれなので、虚空蔵菩薩からご利益をいただこうと思って」と手を合わせて拝んでいました。

February 05, 2006

【やなかの自然】ユリノキ-東京国立博物館

yanaka060204_4_72  5日-東京国立博物館の入り口の広場、本館前に、ユリノキの巨木があります=写真

 枝に残ってついているのは、翼のある果実が松かさのように集まっているもので、風によってカエデの種のようにクルクル回転して種が撒かれます。

 ユリノキは、モクレン科の高木で、街路樹によく使われるのですが、剪定されるためか、可憐な花や実をつけたさまは、あまり知られていません。

 別名を、葉が半纏のような形であることから「ハンテンボク」、花の形から「チューリップノキ」とも言われています。

February 04, 2006

【春夏秋冬・やなか百景】節分会-東叡山輪王寺・両大師堂

yanaka0204_2_72yanaka0204_72  4日-東叡山輪王寺の両大師堂で3日、節分会が行われました。

 年男たちが、法要で受けた福徳を、他の人にも分け与えようと、「福はうち」と声を張り上げながら、福豆を撒きました。

February 02, 2006

【やなか百景】千人塚-谷中霊園(天王寺)

yanaka060202_72  2日-谷中霊園・天王寺の墓所にある千人塚は東京大学医学部に献体された人たちを慰霊しようと建てられました。

 中央が、明治3年から13年9月までに、向かって左が明治13年9月から21年9月まで、向かって右が明治21年9月から37年8月までに献体された人たちのお墓です。yanaka060202_2_72

 それぞれ、千体余の献体を慰霊するために、明治14年6月、明治25年6月、大正2年6月に建てられました。 「千人塚」の文字ですが、「人」の字の右の撥ねに、三つのはらいがあり、塚は偏の「土」の字がありません=写真右

 医学教育と医学の進歩・発展のために捧げられた御霊に感謝し、慰めるために、東京大学医学部は毎年、解剖体慰霊祭を行い、遺族や医学部関係職員、初めて解剖実習に臨んだ医学科の学生が参列しています。

 解剖体慰霊祭では、本堂で読経、焼香などが行われたのち、千人塚でも読経が行われ、隣接するドームに尖がりがついた形の納骨堂で焼香が行われているようです。

February 01, 2006

【やなか百景】寛永寺旧本坊表門-上野公園

yanaka0131_2_72   1日-寛永寺旧本坊表門は、上野公園の東京国立博物館に隣接する両大師の敷地内にあります。

 現在の上野公園の噴水地周辺に、江戸時代には、本尊の薬師如来を奉安する根本中堂がありました。そして、その後方にあたる現・東京国立博物館の敷地辺りに本坊があり、輪王寺宮法親王がおられました。

 しかし、1868年5月の上野戦争で焼失し、この本坊表門のみが残りました。yanaka0131_72

 東京国立博物館が1903年(明治36年)に帝国博物館が開館すると、正門として使われましたが、関東大震災後、現在の本館改築に伴って、現在の場所に移されました。

 門のつくりは、切妻造り本瓦葺き、くぐり門のついた薬医門です。薬医門とは、屋根の天辺が門の中心線上から前方にずれているように見える門。

 門扉には、上野戦争時の弾痕が残されています。

« January 2006 | Main | March 2006 »

Categories

  • 「やニャかの住猫です」
  • まちなみ探訪
  • やなかの自然
  • やなかの路地
  • やなかニュース
  • やなか・かわら版
  • やなか回覧板
  • やなか墓碑銘拝観
  • やなか掲示板
  • やなか桜並木
  • やなか界隈
  • やなか番外編
  • やなか百景
  • やなかSNAP
  • 春夏秋冬
  • 谷中私的!
  • 谷中超私的!