« October 2005 | Main | December 2005 »

November 28, 2005

【やなか界隈】西仏板碑その2-浅草寺境内

yanaka1128  28日-浅草寺境内にある西仏板碑の拓本です。梵字の下に、地蔵菩薩の立像が、その右横に人物坐像が描かれています。その下には、
  右志者為四躰内三躰
  沙弥西仏先妻女并
  (花瓶)西仏敬白
  男女二子為一躰沙弥
  西仏現当二世諸願円満
と書かれています。

 これは、西仏という人が、亡くなった妻と本人、娘と息子の死後の安寧と、現在の健康を祈願したもので、「現当二世」の「当」は来世のことをさすのだそうです。

 この板碑は、大きく、年代的にも比較的古いものであるほか、その1でも紹介しました通り、1742年(寛保2年)の大水害で水浸しになって2つに割れたものを、1814年(文化11年)に両方に石で支えて修復されたもので、文化財保存の古い例という点で注目されています。

 また、江戸時代になって庶民の暮らしが豊かになってくると歴史考証なども行われるようになり、この板碑を建てた「西仏」は誰なのかを考証学者たちが特定しようとしたこともあったといわれています。

 ※台東区のたからもの-寺社所蔵の文化財に見る歴史・文化-を参考にしました。

November 26, 2005

【やなか界隈】近代建築の好奇心・武田五一の軌跡―文京ふるさと歴史館で

yanaka1125
  25日ー明治後期から昭和初期に活躍した日本を代表する建築家の1人といわれる武田五一(たけだごいち)の主に東京での軌跡をたどる特別展が12月4日まで、文京ふるさと歴史館で催されています。
  文京区教育委員会などが主催。午前10時〜午後5時まで。月曜休館。入場料は一般300円。
  武田五一(1872-1938)は、アール・ヌーヴォーをいち早く日本に紹介した人として知られていますが、多彩な伝統建築作品も生み出しているほか、教育者として多くの建築家を育てました。染色・家具など工芸分野にも才能を発揮し、文化財保存でも貢献しました。東京との関わりでは、東京帝国大学で学び、西片で生活し、本郷に求道会館と求道学舎を残しています。
  記念講演会やまちあるきなどのイベントはすでに終了していますが、関連企画「まちかどの近代建築写真展IN文京区」が11月29日(火)まで、アートウォール・シビック(文京シビックセンター地下1階)で催されています。入場無料です。

November 25, 2005

【やなか界隈】西仏板碑その1-浅草寺境内

yanaka1124  24日-浅草寺の境内にある西仏板碑=写真左です。板碑は、石でできた塔婆で、死者の追善供養や自分の死後の供養を生きている間に自分で行うという逆修供養を目的に作られたもので、中世に多くが作られました。

 関東地方の板碑は、秩父の緑泥片岩を素材とすることが特徴で、「武蔵型板碑」といわれ、緑色をしています。板碑の上部には梵字種子が刻まれています。

 西仏板碑は、緑泥片岩で造られたといわれ、高さ222センチ、幅49センチ、厚さ5.7センチ。梵字は釈迦一尊種子。13世紀(鎌倉時代)に造られたと推定されています。

 1742年(寛保2年)の水害で破損して2つに分断したと伝えられ、1814年(文化11年)に補修して2本の支柱で支えられています。

 

November 21, 2005

【やなかの自然】紅葉したツタ-JR日暮里駅

yanaka1121  21日-JR日暮里駅の谷中側斜面で、ツタが紅葉しています。蔦(ツタ)という名前は、「つたう」から来ているそうで、その名の通りの光景です。

 JR日暮里駅は、今年開業100周年を迎えた駅で、1955年(昭和30年)に谷中側の斜面地を削ってホームを一面増設していますので、この壁面は、その際に登場したものだと思われます。

November 19, 2005

【やなか掲示板】五重塔-前進座公演

yanaka1119  19日-小説「五重塔」の著者・幸田露伴(1867~1947)は、1891年(明治24年)から2年間、谷中7丁目の朝倉彫塑館そばに住んでいました。そこは、道路を挟んで谷中霊園に接しているところで、幸田露伴が住んでいた当時は天王寺の五重塔が目前に姿を現していました。五重塔は総ケヤキ造りで、高さ34.18メートルと東京一の高さを誇っていました。1644年(正保元年)に創建され、1771年(明和9年)に焼失したのですが、1791年(寛政3年)に再建されました。しかし、1957年(昭和32年)に心中事件で再度焼失し、現在は礎石のみが残っています。

 その幸田露伴原作の「五重塔」が前進座で公演されています。

 1966年に演劇協会賞を受賞した公演の再演で、チラシから、あらすじを紹介します。
 「一生に一度あるかないかという五重塔建立の大仕事-。
 江戸で名うての棟梁、川越の源太が請け負うことになっていたこの仕事を「ぜひとも自分に」と願い出たのは渡り大工の十兵衛。腕はあるのに世渡りが下手で、仲間から”のっそり”とあだ名される十兵衛が、「大工となって生きる以上は、一度でよい、死んでも名の残る立派な仕事がしたい」と思い詰めての申し出だった。恩も義理も忘れて自分を出し抜く仕業だと源太は激怒するが、考え悩んだ末、十兵衛に仕事をゆずろうと決心して・・・・。」

 公演日程やチケットについては、前進座のウェブページで。 

November 17, 2005

【やなか百景】旧吉田屋本店-台東区立下町風俗資料館付設展示場

yanaka1117_2yanaka1117  17日-江戸の商家の建築様式を伝え、明治時代の谷中の旧茶屋町付近を彷彿とさせるのが、旧吉田屋本店です=写真左。現在は、台東区立下町風俗資料館付設展示場として、公開されています。

 1986年(昭和61年)まで商売が営まれ、住居として生活が行われていましたが、改築を機に、台東区によって上野桜木2-10-6に移築されました。台東区指定有形民俗文化財です。

yanaka1117_4  資料によりますと、明治時代の建物で、前に土間があり、庇を長くしようと腕木の端にさらに腕木を乗せて屋根を支える出桁(だしげた)造り。店の出入りは揚げ戸による開閉式。柱の内側に溝をつけて、その間に挟んだ板戸を上下して開閉し、中柱も取りはずせるようになっていました=写真下。客の出入りや商品の販売、運搬を便利にするためのしくみだそうです。

 館内=写真右上に置かれているものは、区内外の人から寄贈されたもの。

■台東区立下町風俗資料館付設展示場
開館時間=午前9時30分~午後4時30分
休館日=毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合はその翌日)、年末年始
入場無料
電話03-3823-4408

November 16, 2005

【やなか百景】徳川慶喜公の墓所-谷中霊園

yanaka1116yanaka1116_2  16日-谷中霊園にある江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜公の墓所です=写真左。谷中霊園の中にあります。

 谷中霊園は、都営の霊園と天王寺の墓所、寛永寺の墓所が隣接しているため、その一体を総称して呼んでいます。それでいうと、徳川慶喜公の墓は谷中霊園内の寛永寺の墓所にあります。

 東京都指定の史跡で、説明板には次のように書かれています。

「徳川慶喜(1837~1913)は、水戸藩主徳川斉昭(なりあき)の第7子で、初め一橋徳川家を継ぎ、後見職として将軍家茂(いえもち)を補佐した。1866年(慶応2年)第15代将軍職を継いだが、翌年、大政を奉還、1868年(慶応4年)正月に鳥羽伏見の戦を起こして敗れ、江戸城を明け渡した。駿府に隠棲し、1913年(大正2年)11月22日に没した。5,600平方メートル余の墓域の中央からやや西南寄りに葺石円墳状の墳墓がある」

 慶喜の墓の隣には、美賀子夫人の墓が、後方には、側室の新村信、中根幸両名の墓があります。

November 15, 2005

【やなか百景】本堂の改修工事へ。地域の人に見学会-大行寺

yanaka1114_4yanaka1114_2   14日-大行寺(谷中6-1-13)で、本堂の改修に先がけ14日、地域の人yanaka1114 や建築の研究者への見学会が開かれました。すでに9日、解体式と遷座式が行われ、ご本尊などは本堂隣のご会所に移されました=写真下

 大行寺は、江戸時代以前から谷中ある3カ寺(大行寺、現・天王寺、玉林寺)の一つで、1588年(天正16年)、圓妙院日感上人によって創建された日蓮宗の寺院です。

yanaka1114_3  棟札=写真右から、今から161年前の1844年(天保15年)4月に建てられたのち、1936年(昭和11年)に屋根が改修されたことがわかったそうです。

 老朽化による雨漏りなどがあったことから、今回、2年ほどかけて本堂が改築されるそうです。工事を進めるためのスペース確保で課題となった山門や樹木も、回転移動させたり、移植するなどして歴史あるものを残す努力と工夫がなされるそうです。

 見学会では、はしごをかけて屋根裏の棟木や構造も見せてもらいました。大きな屋根を支える棟木と柱の交差は複雑で、地震にも耐えうるという技術力は匠の技としかいいようがないと思いました。

November 14, 2005

【やなか住ネコ】門番ネコ-谷中4丁目

yanaka1114_6yanaka1114_7  14日-曇り空にけぶる門前に立ちふさがるのは黒縞の門番ネコ=写真左

 門番というよりは執事といった絶妙なポジション取り。しかし、近づく足音に警戒心を露わに、腰を浮かして逃げの体勢=写真右

November 13, 2005

【やなかの自然】紅葉したハナミズキと赤い実-常在寺

yanaka1113_2yanaka1113  13日-常在寺(谷中5-2-25)の2本のハナミヅキ(花水木)が見事に色づき、タワワに実をつけています。

 ハナミヅキは別名・アメリカ山法師といわれています。

 ハナミヅキは、憲政の父といわれる尾崎行雄が東京市長だった1915年(大正4年)、アメリカのワシントン市にサクラを送った返礼に東京市に送られてた花として知られています。

【やなかの自然】ピラカンサの赤い実-谷中霊園

yanaka1113_3  13日-小春日和に恵まれた13日、グループや家族連れの散策者で谷中界隈はにぎわいを見せています。

 谷中霊園のピラカンサも見事に実を赤くして、人目を惹きつけています。ピラカンサは「ときわさんざし」と呼ばれるアジア原産の木です。鳥が実を食べにくるため、庭でバードウォッチングをしたい人が庭木として植えたりもします。

November 12, 2005

【やなか百景】落葉-谷中霊園さくら大通り

yanaka1112yanaka1112_2  12日-谷中霊園のさくら大通りでは落葉が始まっています。温暖のためか鮮やかな紅葉とはいいがたいのですが、葉は黄色や赤に染まり、落葉しています。

 イチョウの葉はまだ、紅葉していません。

November 11, 2005

【やなか界隈】酉の市にぎわう・その2-浅草酉の寺

yanaka1109_3 yanaka1111 浅草酉の市で、鷲神社と並んである酉の寺「鷲在山長國寺(じゅざいさん・ちょうこくじ)」です=写真右。1630年開山以来、浅草酉の市発祥の寺として親しまれています。

 酉の市では、鷲神社と酉の寺の境内が一体となって、縁起物の熊手市が立ちます。

 そこで、失敗談ですが、私が昨年、参拝したと思い込んでいたのは鷲神社ではなく、実は、酉の寺だったことがわかりました。このような勘違いをする人が結構いるようで、日暮里駅から錦糸町行きのバスに乗り、停留所「竜泉」で降りますと、案内係が「鷲神社はこちらから向かって手前ではなく、2つ目の参道を入ったところです」と声を張り上げていました。

 今年は、首尾よく鷲神社と酉の寺と両方にお参りできました。

 酉の寺の境内に一つの長蛇の列ができていました。その先を見ると、一人の僧がお経を唱えて御くじを引いていました(100円)=写真左

 さて、酉の寺でもかっこめ熊手守(700円)、鷲妙見かっこめ(1200円)とさらに酉年にちなんで今年限定の金鷲熊手(2500円)などの御守りがありました。

 通称・酉の寺、鷲在山長國寺は、石田三成の遺子といわれる長國山鷲山寺(じゅせんじ)第13世・日乾(にちけん)上人によって1630、浅草寺町に開山されたといわれているそうです。 ご本尊は、「本門八品上行所伝本因下種(ほんもんはっぽん じょうぎょうしょでん ほんにんげしゅ)の南妙法蓮華経」で、本堂の中央に板曼荼羅本尊、その前に日蓮大聖人。右端の御厨子に鷲妙見大菩薩が安置されています。

November 09, 2005

【やなか界隈】酉の市にぎわう-浅草鷲(おおとり)神社

yanaka1109 yanaka1109_2 浅草酉の市が9日開かれました。台東区千束にある鷲(おおとり)神社の入り口では、神主さんが参拝の人にお祓いのために大麻(おおぬさ)を振り続けていました=写真左

 参道の左右は、米俵や宝船、招き猫や松竹梅と縁起物でびっしり飾られた熊手飾りが所狭しと飾られ、あちこちで商売繁盛を願い買い求めた人を囲んで、景気づけに三三七拍子が鳴りました。

 私は鷲神社で、熊手守「かっこめ」(700円)を求めました。この熊手御守は、「かっこめ」「はっこめ」といわれ、福運や財を掻きこむという縁起から、開運、殖産、商売繁盛の御守りとして江戸時代から授けられているものなのだそうです。

November 08, 2005

【やなか住ネコ】人懐っこい茶トラ-谷中霊園

yanaka1108 yanaka1108_2 8日-小春日和の谷中霊園。さくら大通りにかすかなネコのなき声。冬毛つやつやの茶トラが、思わせぶりに散歩。追いかけて呼びかけると、寄ってきて、毛並みを披露。珍しく人慣れしたそぶりに「飼い猫?」、「飼い猫だよねぇ?」「首輪ないけど飼い猫?」と質問を連発しながら、答えが返ってこないのに「飼い猫に違いない」と思い込む。

November 07, 2005

【やなかの自然】イチョウの実-東京国立博物館

yanaka1107  7日-東京国立博物館庭園で、イチョウの実が落ち始めました。独特の臭みと、足下に散見される黄色い実が、イチョウの木の存在を知らせてくれます。

 東京国立博物館の北側にある庭園は、春・秋に2回、散策することができます。今秋は11月30日まで開放されています。

 園庭には、金森宗和によって奈良の慈眼院に慶安年間(1648-52)に建てられて、1877年(明治10年)に移築された茶室「六窓庵」をはじめ、5棟の茶室があり、お茶会や句会などに借りることができます。

November 05, 2005

【やなか百景】道灌山からの眺望-いま・むかし

yanaka1105_3yanaka1105_4  5日-道灌山は、上野から飛鳥山へ続く台地の上にあり、1856年(安政3年)の「根岸谷中日暮里豊島辺図」によると、今の西日暮里4丁目付近で、荒川区立西日暮里公園や諏方神社辺りのようです。この辺りの寺町は、「ひぐらしの里」と呼ばれていました。

yanaka1105_2  道灌山の地名の由来は、中世に新堀(日暮里)の土豪・関道閑(せき・どうかん)が屋敷を構えたとか、江戸城を築いた太田道灌が出城を造ったなどといわれています。

 ひぐらしの里は、江戸時代、人々が日の暮れるのも忘れて四季折々の景色を楽しんだところから、「新堀」に「日暮里」の文字を当てたといわれています。

 また、この地は、貝塚や住居址、土器などが出土している荒川区内でも最も古い歴史をもつところで、縄文時代から数千年に渡って人々の営みが続けられているところです。

  写真上=諏方神社境内から見た現在の風景。台地の下に見えるのは西日暮里駅です。写真下=安藤広重画の「江戸百景」から「道灌山」。江戸時代は、筑波や日光の連山などを望むことができたそうです。道灌山は当時、薬草が抱負で、年中、薬草を摘みにくるが訪れていました。また、虫聴きの名所としても知られていました。

※荒川区教育委員会による説明板を参照。

November 04, 2005

【やなか百景】おまいり小路-谷中6丁目

yanaka1104_2yanaka1104_3   4日-谷中6丁目のある路地です。木造2階屋の脇の路地を進むと、地蔵さまが祀られています=写真左上。祠の軒下に「世継ぎ地蔵尊」と額がかけられています。地蔵尊の脇にはかつて祀られていたと思われる地蔵尊の頭部が置かれています。清掃が行き届いていて、ろうそくと水、花が手向けられていることからも、地域の人たちに親しまれていることが感じられます。

 そして、お地蔵さまの足下に、「おまいり小路 あととりぢぞう」と書かれたプレートがありました。

yanaka1104 さらに、路地を入っていくと、こんどはお稲荷さまの祠が祀られています=写真右下。 江戸時代は多彩な民間信仰が生まれ、ことさら江戸後期は、社会や人々の生活が安定してきたことから谷中七福神や御府内88カ所霊場、弘法大師21カ所参り、さらに、修験者など民間宗教者の活動も活発だったということですから、このお稲荷さまの祠は稲荷講の名残かもしれないですね。

 お地蔵さま、お稲荷さまが路地に祀られ、今に引き継がれている風景が、谷中にあります。

November 03, 2005

【やなか掲示板】「上野の山の彰義隊」テーマに東京国立博物館で講演会―講師は森まゆみさん

yanaka1103_72 3日-「上野の山の彰義隊(しょうぎたい)-江戸260年へのさよなら」をテーマに講演会が11月20日(日)、東京国立博物館の平成館大講堂で催されます。講師は、地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の編集人であり、作家の森まゆみさん。東京国立博物館が主催するもので、「上野の歴史を知る」シリーズ第2弾として企画されました。

 参加費は無料ですが、入館料が必要です。定員は250人。事前の申し込みは不要で、当日は先着順に受付されます。

 講演会のチラシ=写真左に書かれた講演概要によりますと、「上野の山の彰義隊」とは、戊辰戦争時、上野で新政府軍と戦った旧幕府軍のことで、江戸城明け渡しの後、上野寛永寺に立て籠もったものの、新政府軍の攻撃によって敗退した。彰義隊の子孫はすでに高齢化、代替わりが進み、記憶の風化が避けられないのが現状。よく似た境遇にあった新撰組が有名であるのに対して、知名度がほとんどない彰義隊の存在を世に伝え、逆賊、烏合の衆と軽んじられ敗北したその後の人生に、もう一度光を当てるとともに、彼らの舞台である上野の知られざる歴史を紹介するということです。

 問合せ先は、東京国立博物館。電話03-3821-9270(月~金の午前9時30分~午後5時、祝日は除く)。

※戊辰戦争=新政府軍と幕府軍との間で1868~69年に行われた戦争の総称

November 02, 2005

【やなか百景】旧東京音楽学校奏楽堂

yanaka1102_2  2日-旧東京音楽学校奏楽堂は現在、上野公園内にあり、台東区が管理しています。

 1890年(明治23年)に東京音楽学校(現・東京藝術大学)の本館として建てられた日本初の本格的な音楽ホールです。設計は山口半六、久留正道。1987年、上野公園内で復元されました。

 ホールの中央天井が、かまぼこのような形で高くなっていて、見た目や排気、音響上の配慮がなされているほか、壁面や床下に藁や大鋸屑が詰められて、遮音効果をあげるなどの技術的な工夫がなされているのだそうです。

yanaka1102 東京藝術大学建築科100周年の記念事業として、シュトゥットガルト室内管弦楽団トリオによるコンサートが2日、催されました。

 コンサートに先立ち、前野まさる・東京藝術大学名誉教授が、奏楽堂が上野公園という芸大隣接地に保存活用されることになった経緯を説明しました。

 説明によりますと、建て替えのために、一度は旧奏楽堂が明治村に移設保存されることになったものの、「建築や都市は、人と土地との営みの証なので、土地の歴史を築いている建物が消えたら、その歴史も消えてしまう。土地の歴史が語れることが、土地の誇りを惹き出し、まちづくりの力となる」と、現地保存を訴える運動が起こったのだそうです。「奏楽堂を救う会」の森正さんが語った「奏楽堂は楽器である」という言葉が紹介されました。

 また、奏楽堂のホールにあるパイプオルガンは、1928年(昭和3年)に徳川頼貞侯爵から寄贈されたもので、1955年頃からは使われていなかったのを、2000人の有志による「奏楽堂のパイプオルガンをよみがえらせる会」の結成、募金活動が実り、オルガンが修復されたということです。

 これは日本唯一の空気式オルガンで、1850年代の特殊な機構を持っている歴史的なオルガンです。音質もロマンティックスタイルといって、柔らかい音色なのだそうです。

 谷中を歩いていて楽しいのは、歴史の名残があちこちに散見されるから。そして、今も役に立ったり、使われている建物や場所だからこそ、歴史を肌で感じることができるのですね。

« October 2005 | Main | December 2005 »

Categories

  • 「やニャかの住猫です」
  • まちなみ探訪
  • やなかの自然
  • やなかの路地
  • やなかニュース
  • やなか・かわら版
  • やなか回覧板
  • やなか墓碑銘拝観
  • やなか掲示板
  • やなか桜並木
  • やなか界隈
  • やなか番外編
  • やなか百景
  • やなかSNAP
  • 春夏秋冬
  • 谷中私的!
  • 谷中超私的!