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August 20, 2005

【やなか墓碑案内】江戸、無血開城の道を開いた山岡鉄舟の墓-全生庵

yanaka0820  20日-11日に紹介した落語中興の祖・三遊亭圓朝(1839-1900)が眠る全生庵(谷中5-4-7)は、山岡鉄舟が1883年(明治16年)に開基した寺です。本堂の右脇を通り奥に広がる墓所に、山岡鉄舟(1835-88)の墓もあります。

 明治維新の際に、国のために殉じた人の霊を慰める寺を建てたいと思った鉄舟が、谷中にあった30坪ほどの末寺・泰元院を復興したのだそうです。

 三遊亭円朝はわれらの同郷人(谷根千工房編集・発行)にある平井玄恭・前全生庵住職の「鉄舟と円朝」を読みますと、全生庵の縁起が書かれています。

 鉄舟が新宿淀橋あたりを歩いていると、角谷(つのや)という小さな餅菓子屋の店先に「全生庵」と書かれた立派な額が掛かっていたことに驚きました。店主は、先祖伝来のもので、「これを持つのにふさわしい人に差し上げるつもりでいた」と鉄舟にその額を譲り渡したのだそうです。

 さて、泰元院を復興するために、隣地を買い足したところ、そこももともとが寺だとわかったのだそうです。その寺は、鎌倉建長寺を開いた名僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が中国から日本に来る途中に船が難破して、谷中三崎に打ち上げられ、「全生庵」という庵を結んだところだったのです。そして、この地の角谷という豪族が世話をよくしたため、蘭渓道隆が鎌倉に去る際に、庵にかけてあった額を渡したのだそうです。

 山岡鉄舟は、蘭渓道隆の寺があったところに、僧から角谷の子孫が渡された額を譲り受けて寺を開いたという不思議なめぐり合わせがあるのだそうです。

 山岡鉄舟は、勝海舟、高橋泥舟と並んで幕末の三舟と呼ばれています。

 将軍・慶喜の命によって官軍の西郷隆盛と交渉をし、勝海舟と西郷隆盛の会談を実現させて江戸の無血開城への道を開いた立役者として知られています。

 維新後の鉄舟は、明治新政府に請われて、天皇の侍従を務めているということです。

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