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August 30, 2005

【やなか・かわら版】まつりのあと-山車人形「豊島左衛門尉経泰」、越生町に帰る

yanaka0830  30日-諏方神社(荒川区西日暮里3-4-8)の御鎮座800年大祭の翌29日、社殿では郷帰りした人形もそれぞれの住処に戻っていきました。

 中国の武将「関羽」は、早稲田大学演劇博物館の保管庫に戻されました。また、諏方神社を創建した「豊島左衛門尉経泰(としまさえもんのじょうつねやす)」は、現在の持ち主である埼玉県越生町上町町会の人たちの手で解体されて長持ちに納められました=写真

 山車人形・豊島左衛門尉経泰は、1886年(明治19年)に谷中の上三崎南、上三崎北、初音町1丁目の3町会(現・南町、三崎町、初音町町会辺り)によって作られました。都市化が進み電線が張られるようになって運行が難しくなったことなどから、明治末以降、まつりの表舞台から姿を消しましたといわれています。そして1919年(大正8年)、越生町上町に当時の価格で約150円で売られたのだそうです。

 その後、越生で活躍していた人形も、傷みが進んだことから1939年頃(昭和14年頃)の祭を最後に、主役の座を降りました。1988年、上町の人たちは、保存されていた人形を修復。人形は、50年ぶりに越生まつりの主役に帰り咲いたのだそうです。

 越生まつりは、通常は7月の第4土・日に催され、日曜日は花火も上がるそうです。いつもの静寂に包まれた神社に戻った社殿では、長持ちに収納される人形を見守りながら、「来年は越生で山車人形と再会したい」との声も聞かれました。

August 29, 2005

【やなか・かわら版】諏方神社御神幸祭-健康、幸せ願い盛大に

yanaka0829_15  29日-諏方神社(荒川区西日暮里3-4-8)の御神幸祭が26日から28日に行われ、3年に1度の大祭に当たる今年は、2トンもある神社神輿が、人びとの健康と幸せを願い日暮里・谷中地区を渡御しました。

 神輿は午前8時に神社を出発し、宮入したのは午後8時過ぎ。25町会の顔役たちが連携して運行や警備を取り仕切り、大役を果たしました。また、各地区では、神輿の巡行を今かいまかと待つ人の姿もありました。

yanaka0829_11 yanaka0829_16 ※神輿渡御。写真上は、言問通り。写真左下は、荒川区西日暮里2丁目。写真右下は、台東区谷中3丁目 。

 お囃子と獅子頭を先導に、各地域の総代、稚児船、人力車に乗った委員長、副会長と続きます。そして、神輿が登場。しんがりは、白馬に乗った宮司の行列でした。

August 27, 2005

【やなか・かわら版】諏方神社大祭-地域各所で町神輿、かけ声高く

yanaka0827 27日-日暮里・谷中地区の総鎮守である諏方神社(荒川区西日暮里3-4-8)の3年に1度の大祭です。27日は町会ごとに子ども神輿や山車、大人神輿が町内をかけ声高らかに練り歩きました。神輿渡御の他には、子どもたちのゲームや芸能大会、盆踊りなども行われ、日暮里・谷中地区はまつりの熱気に包まれた一日となりました。

 写真上は、谷中・天王寺町会の大人神輿。

yanaka0827_3 yanaka0827_4 写真右は、日暮里ひぐらし会の子ども神輿。諏方神社の境内でひとやすみ。お祓いをしてもらい、再出発。

 写真左は、子どもたちの太鼓で、元気なかけ声で、御神酒所を出発する谷中三崎町会の山車。

【やなか・かわら版】諏方神社大祭-山車人形郷帰り、27・28日社殿で披露

yanaka_dashiningyo  27日-日暮里・谷中の総鎮守・諏方神社(西日暮里3-4-8)に山車人形が26日郷帰りしました=写真左。早稲田大学演劇博物館から51年ぶりに戻ってきた山車人形の関羽と坂町町会が保存していた加藤清正の頭部は午後4時頃に社殿に到着。豊島左衛門尉経泰(としまさえもんのじょうつねやす)は、埼玉県越生町を午後7時頃出発。諏方神社での飾りつけが終わったのは午後9時30分を回っていました。

 86年ぶりの郷帰り・豊島左衛門尉経泰

 山車人形の豊島左衛門尉経泰=写真右の里帰りは、86年ぶりとなります。1886年に作られたこの人形はかつて、谷中上三崎南町・谷中上三崎北町・初音町1丁目の3町会が所有していたものです。

yanaka_toshima  郷帰りのきっかけは、昨年11月に催された財団法人・千代田コミュニティ振興公社による「江戸フェスティバル・山車人形展」に「豊島左衛門尉経泰」が出展されていたことを知った谷中南町町会長の篠田忠さんが、見逃したことを残念に思い、仲間を募って、現在の持ち主町会・越生町上町町会を訪ねたことから交流が生まれたことだったそうです。

 谷中地区の有志は、今年7月末に行われた越生まつりに出かけ、越生町上町町会の人たちと、「豊島左衛門尉経泰」の山車を曳く体験もしたそうです。

 今や越生町上町の宝となっている山車人形「豊島左衛門尉経泰」とともに昨日は、越生町からも輸送・設営に訪れ、郷帰りした雄姿を見守りました。

 都市化が進んだ明治末を最後に山車人形は祭りから姿を消していることから、山車人形の帰京に尽力した役員たちも初対面の人たちばかり。社殿に飾られた人形を間近でみた人たちからは、ため息のような歓声の声が上がりました。「地域の人たち、子どもたちに、見せてあげたい」との思いで実現した郷帰り。諏方神社を開いた豊島左衛門尉経泰の山車人形の郷帰りは、御鎮座800年の大祭にふさわしい華を添えます。

※ 27日、28日は終日社殿に飾られています。山車人形は、豊島左衛門尉経泰、関羽、加藤清正の頭部のほか、神社が保管する「鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)」も奉納舞台に展示されています。

 27日は、江戸里神楽土師流の松本源之助社中によるお囃子が奉納されるほか、午後6時からは奉納演芸も催されます。 

August 26, 2005

【やなか・かわら版】諏方神社-御鎮座800年の大祭式

yanaka0826_2  26日-諏方神社で大祭式が26日午前10時30分から行われました。宮総代はじめ町総代、町会長など130人ほどが参列し、御鎮座800年を祝いました。

 諏方神社は、北豊島郡新堀村(現・荒川区西日暮里)、谷中町(現・台東区谷中地区)の総鎮守です。

 27日は、25町会の御神酒所のお祓いが行われ、各町会では子ども神輿や大人神輿の渡御などが行われます。

yanaka0826_5  また28日は、諏方神社の神輿が午前は日暮里地区を、午後は谷中地区を巡行します。

 本社神輿は、1850年(嘉永3年)に修復されたことがわかり、それ以前の製作であることがわかっています。重量は540貫(およそ2トン)だそうです。

  

August 25, 2005

【やなか百景】よみせ通り-延命地蔵尊の縁日

yanaka0825_2 yanaka0825_3 25日-よみせ通り商店街が24日、延命地蔵尊の縁日を催しました。7月、8月、9月の3ヵ月は各月24日午後4時~7時に行われるそうです=写真右

 24日は、ゆかたを着ている人、もしくは商店街で1000円以上の買い物レシートで、人力車に乗れるというイベント=写真左のほか、ビールやレモンサワー、ポップコーン、やきそば、ヨーヨーつり、焼きもろこしなどの夜店が通りに並びました。細長い風船で動物などの形をつくるマジックバルーンの実演は子どもたちに特に好評で、風船をもらうために順番を待つ子どもの列ができました。

関連: 【やなか百景50】延命地蔵尊-よみせ通り

August 24, 2005

【やなか百景】諏方神社大祭準備着々と

yanaka0824_6yanaka0824_5   24日-諏方神社大祭・御神幸祭が26日から28日まで行われます。3年に1度の大祭の今年は、28日に、神社の神輿はじめ獅子頭の乗ったお囃子、七福稚児船などが連なる一行が氏子25町会を一日かけて巡行します。

 町会によっては、神社神輿の巡行のほか、町会の子ども神輿や大人神輿の渡御、盆踊りなどを予定しているところもあります。

 すでに、各町会では、週末に迫った祭りの準備が着々と進められています。神社神輿の通行の妨げになる路上駐車をなくすよう協力を求める貼り紙をする真土町会の委員=写真左、御神酒所の設営を始めた初4町会=写真右など。また、各町会の掲示板には、それぞれの町会による行事日程が貼りだされています。この週末、日暮里・谷中地区では、あちこちで神輿のかけ声や太鼓の音などが、響き渡りそうです。

【やなか住ネコ】「あなたはどうしてロミオなの?」-西日暮里2丁目の茶トラ

yanaka0824  24日-西日暮里2丁目の茶トラ。家屋1階の窓の外にチョコンと座り、通りを眺めていました。まるで、ロミオとジュリエットのジュリエットのよう。瞳がレモン色で、魅惑的。

 逃げられないように、ゆっくりとカメラを構えてパチリ=写真上

 さらに、近寄って取ろうと一歩踏み出したら・・・、逃げるのではなく、近づいてきました。じゃあと手を伸ばすと、スッと遠ざかり、車の下に=写真下左

yanaka0824_2 yanaka0824_3  自転車に乗った親子連れも茶トラに気づいて、しばらくお見合いをしていました=写真下右が、根負けして通り過ぎていきました。

August 23, 2005

【やなか百景】道灌どのの物見塚-本行寺

yanaka0823  23日-本行寺(荒川区西日暮里3-1-3)は、日蓮宗の寺で、「月見寺」とも呼ばれて江戸時代の文人や粋な人たちから親しまれて来ました。

 開基は、太田大和守資高で、寺ははじめ江戸城内の平河口に創建された後、神田、谷中を経て、1709年(宝永6年)に現在の地・西日暮里に移転したのだそうです。太田大和守資高は、室町時代の武将で歌人でもある太田道灌(1432~1486)の孫。太田道灌は扇谷上杉定正の家臣で1457年(長禄元年)に江戸城を築いたことで知られています。

 さて、本行寺の境内にある碑=写真上は、太田道灌が眺めのよいこの地に「物見塚」(見張り台)をつくったことを書いたもの。本行寺の住職・日忠や道灌の後裔という掛川藩主の太田氏などが、1750年(寛延3年)塚の脇に建てたものだそうです。

yanaka0823_2 塚は、鉄道が敷設されてなくなりましたが、この碑は残りました。

 道灌の言い伝えは古くからよく知られていて、小林一茶もこの地で、「陽炎(かげろう)や道灌の物見塚」と詠んでいます。

写真下の一茶の句を記した碑も本行寺の境内にあります。

 

August 21, 2005

【やなか百景】蛍坂-谷中5丁目

yanaka0821 yanaka0821_2 21日-谷中5丁目にある蛍坂です。丘と坂の多い東京ですが、上野台地と根津谷の斜面沿いにつくられている細い坂道です。左が下り道の景色、右が上り道の景色です。

 江戸時代に坂下にある宗林寺付近は蛍沢と呼ばれ、蛍の名所として知られていたことから、坂の名前がついたのではないかといわれています。三年坂という別名もあるそうです。

August 20, 2005

【やなか墓碑案内】江戸、無血開城の道を開いた山岡鉄舟の墓-全生庵

yanaka0820  20日-11日に紹介した落語中興の祖・三遊亭圓朝(1839-1900)が眠る全生庵(谷中5-4-7)は、山岡鉄舟が1883年(明治16年)に開基した寺です。本堂の右脇を通り奥に広がる墓所に、山岡鉄舟(1835-88)の墓もあります。

 明治維新の際に、国のために殉じた人の霊を慰める寺を建てたいと思った鉄舟が、谷中にあった30坪ほどの末寺・泰元院を復興したのだそうです。

 三遊亭円朝はわれらの同郷人(谷根千工房編集・発行)にある平井玄恭・前全生庵住職の「鉄舟と円朝」を読みますと、全生庵の縁起が書かれています。

 鉄舟が新宿淀橋あたりを歩いていると、角谷(つのや)という小さな餅菓子屋の店先に「全生庵」と書かれた立派な額が掛かっていたことに驚きました。店主は、先祖伝来のもので、「これを持つのにふさわしい人に差し上げるつもりでいた」と鉄舟にその額を譲り渡したのだそうです。

 さて、泰元院を復興するために、隣地を買い足したところ、そこももともとが寺だとわかったのだそうです。その寺は、鎌倉建長寺を開いた名僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が中国から日本に来る途中に船が難破して、谷中三崎に打ち上げられ、「全生庵」という庵を結んだところだったのです。そして、この地の角谷という豪族が世話をよくしたため、蘭渓道隆が鎌倉に去る際に、庵にかけてあった額を渡したのだそうです。

 山岡鉄舟は、蘭渓道隆の寺があったところに、僧から角谷の子孫が渡された額を譲り受けて寺を開いたという不思議なめぐり合わせがあるのだそうです。

 山岡鉄舟は、勝海舟、高橋泥舟と並んで幕末の三舟と呼ばれています。

 将軍・慶喜の命によって官軍の西郷隆盛と交渉をし、勝海舟と西郷隆盛の会談を実現させて江戸の無血開城への道を開いた立役者として知られています。

 維新後の鉄舟は、明治新政府に請われて、天皇の侍従を務めているということです。

August 19, 2005

【やなか住ネコ27】残暑お見舞い申し上げます!-谷中5丁目の茶トラ

yanaka0816_2  19日-残暑お見舞い申し上げます。谷中5丁目の茶トラは、木陰ではなくコンクリートの上に寝そべっていました。谷中のネコは、ときどき石になったように微動だにせず、通行人をやり過ごそうと決め込むことがあります。しかし、通行人が、そのネコに気づいて近づくや否や、すばやく身をかわして逃げるので、頭をなでる、ましてや抱き上げる・・・なんて、させてくれません。

 このネコは、動くのも億劫だったのでしょうか、鷹揚に構えて、頭をなでさせてくれたのでした。

August 18, 2005

【やなか百景】2階屋よりも高かった谷中の山車

yanaka0817  18日-諏方神社の御神幸祭で、谷中の山車人形が社殿で展示されます。

 写真は、谷中町などが所有していた中国の武将・関羽の山車人形で、2階建ての家よりも高かったことがわかります。

 1954年(昭和29年)に早稲田大学演劇博物館に寄贈されたもので、今回、51年ぶりに里帰りをすることになります。

 明治末頃までは、まつりで町内を練り歩いたそうですが、都市化によって電線が張られるようになったことから、姿を消したのだそうです。

 

August 15, 2005

【やなか番外編】諏方神社大祭で里帰りする豊島左衛門尉経泰

yanaka0815  15日-8月27・28日に里帰りし、諏方神社社殿に飾られる山車人形・豊島左衛門尉経泰です。この写真は、里帰りのきっかけとなった「江戸フェスティバル」で展示された時のものです。この江戸フェスティバルは、財団法人千代田コミュニティ振興公社が催したもので、東京駅近くの丸ビル1階で山車人形が展示されました。

 その展示を知った、山車の里親町会はじめ谷中の有志が、山車人形の嫁ぎ先・埼玉県越生町上町と連絡をとったことが、今回の里帰りのきっかけになったのだそうです。

August 14, 2005

【やなか住ネコ26】石ネコ-仮名垣魯文の猫塔記念碑

yanaka0813  14日-永久寺(台東区谷中4-2-37)に幕末から明治時代にかけて活躍した劇作家で、新聞記者の仮名垣魯文(1829-94)の墓と魯文の猫塔記念碑があります。この写真は、その記念碑の中に納められた石像です。上に向けた顔が左にあり、右に体があり、前足と尻尾があることがわかります。

  •  この記念碑の全体写真はこちら
  •  仮名垣魯文の墓の写真はこちら

August 13, 2005

【やなかSNAP】「納骨堂のシンボルに五重塔を」-まちづくりグループ谷中学校のプチ講演会で、興禅寺住職の山崎正矩さんが提案

yanaka0813_3  13日-まちづくりグループ「谷中学校」が7月31日、「お墓とおまいりの歴史と未来」をテーマにプチ講演会を、谷中コミュニティセンターで開きました。講師は、興禅寺(谷中5-2-11)住職の山崎正矩さん=写真右。主催した「谷中学校」は、谷中の文化を大切に育てて未来に受け継ごうと活動するまちづくりグループです。 

 山崎さんは、江戸名所図絵から「谷中感応寺」のイラストを見せて、「「墓が書かれていません。谷中に墓が増えたのは、明治以降です」と話しました。王侯貴族の墓として古墳を作った時代があり、仏教伝来後は、五重塔が礼拝の対象となり、その後、普遍性と鎮魂の意味から石で墓が作られるようになった歴史を説明しました。

 そして、墓石は高価なものだったのが、明治時代に墓の庶民化が始まり、家を絶やさないようにと「家の墓」が作られるようになりました。山崎さんは、「墓参りは別れを受け入れるのに重要な行いですが、今や少子化で家の継承は危うい時代になりました」と現状を述べました。

yanaka0813_2  そこで、このように無縁墓が増える現状では、墓の集約化は一つの方法とし、「ヨーロッパをまねて壁墓地のようなものにするのではなく、お参りする対象を世代を超えて敬えるものにしてはどうか」と述べ、「谷中霊園でも五重塔を建てるのはどうか。地下を納骨堂にして、その使用権を建築費に当てることはできないか。一階には、1957年に焼失した五重塔の記録を展示して歴史を伝え、また、木造建築の技術伝承にもなります。都民の平和のシンボルにできないものか。墓は人間誰もが行くところ。あそこに行きたいと思えるところにすべきでは」と、提案しました。

 山崎さんの提案に触発され、参加者からは「五重塔を、宗教に関わりなく礼拝できるモニュメントにできないものか」、「五重塔をきっかけに、町並み保存など、谷中全体のまちづくりを考えるきっかけにもなるのでは」など、意見が出されました。

August 12, 2005

【やなか私的!】軒先の緑、水生植物と金魚も

yanaka0812_5  12日-旧盆間近の今日は、谷中霊園沿いのぎんなん横丁を歩いたら、線香の香りがかすかに漂ってきました。

 谷中に限らず、東京下町の路地や家の軒先に所狭しと植木鉢が並んでいる光景を想像することは難くありませんが、緑の中には、ハスなど水生植物も並んでいて、魚が泳いでいることもあります=写真左

 軒先や路地の緑ですが、鉢は整然と並べられていて、ご近所や通る人の目が意識されていることがわかります。また、丹精を込めて育てられていて、水やりはもちろんのこと、咲き終わった花や枯れた葉も摘み取られ、軒先の一番よい場所には、その時々の季節を彩る鉢が置かれていることにも気づきました。

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 写真は、左上、中央上2枚は谷中1丁目の小道で、右上は谷中7丁目の初音の道沿い、右は谷中5丁目の三崎坂沿いで撮影しました。

August 11, 2005

【やなか墓碑案内】8月11日は圓朝忌-全生庵

yanaka0811   11日-1900年(明治33年)8月11日に、落語中興の祖といわれる三遊亭圓朝(1839-1900)が亡くなりました。享年61歳。全生庵(台東区谷中5-4-7)に墓=写真があり、7日には、落語協会による法要が行われ、圓朝まつり05が催されました(8月7日の【やなかSNAP】圓朝まつり賑わうを参照)。

 谷根千工房発行の「三遊亭圓朝はわれがの同郷人」(本体600円)を読みますと、三遊亭圓朝が、全生庵を開いた山岡鉄舟(1835-88)と親しかったことがわかります。

 山岡鉄舟は、江戸城無血開城が成った西郷隆盛(1828-77)と勝海舟(1823-99)の高輪・薩摩屋敷での会談実現に身を挺し、明治維新後は、明治新政府に請われて、天皇の侍従となりました。そして、国のために殉じた人たちの慰霊の寺を建てたいと願い、全生庵を開いたのだそうです。

 圓朝は、幕末の幕臣で槍の名手でもある高橋泥舟(1836-1903)と知り合いであったことから、泥舟の義弟・鉄舟と出会ったということです。鉄舟が、「円朝の高座は、うまいが話が死んでいる」と評したことから、圓朝は鉄舟について禅を学び、芸を極める域に達することができたのだそうです。

※三遊亭圓朝の肖像画を掲載しているホームページはこちら

August 10, 2005

【やなかニュース】諏方神社大祭で、山車人形「加藤清正」の首も社殿に展示

yanaka0810  10日-昨日9日に、諏方神社(荒川区西日暮里3-4-8)の大祭に、鎮座800年の節目ということもあり、山車人形が里帰りをすることをお伝えしましたが、さらに谷中坂町(現・谷中1丁目あたり)町会が所蔵している山車人形「加藤清正」の首=写真上も展示されることがわかりました。

 この山車人形・加藤清正の首は、玉林寺(谷中1-7-15)の倉庫に、木箱に入れて納められていたもので、これまでに調査をしたところ=写真下、高さ約35センチの頭部のほかに、陣羽織、よろいの一部なども残っていることがわかったということです。 

yanaka0810_2  人形の頭部には肌色やひげの薄青色が残り、目には彩色されたガラスがはめ込まれているそうです。

 山車人形はいずれも、8月27日(土)・28日(日)の大祭の期間に、諏方神社社殿で展示されます。 

August 09, 2005

【やなかニュース】諏方神社鎮座800年記念し、山車人形2体が里帰り

yanaka0809  9日-今年の諏方神社例大祭は、御鎮座800年を記念して、山車人形2体が半世紀以上ぶりに里帰りします。

 里帰りをするのは、当時の町名にして、上三崎南・上三崎北の2町会と初音町1丁目の3町会(三崎坂辺り)がもっていた「豊島左衛門尉経泰(としまさえもんじょうつねやす)」と、谷中町が持っていた3世紀の中国・戦国時代の武将「関羽」の2体です。

 いずれも都市化が進んだために市電が通るなどして電線が張り巡らされたことから、2階屋以上の高さとなる屋台は出せなくなり、明治から大正に変わる頃には、まつりから姿を消したそうです。

 「豊島左衛門尉経泰」は、御神体を信州から運んでこの地に祀った神社の創建者です。1919年(大正8年)に埼玉県越生市の上町町会に売却されたのですが、今回の御鎮座800年を機に、86年ぶりに里帰りが実現することになりました。

 また、「関羽」も、1954年(昭和29年)に早稲田大学演劇博物館に寄贈され、今回51年ぶりの里帰りとなります。

 今回の山車人形の里帰りは、谷中地区町会連合会が主催し、諏方神社と祭礼実行委員会が後援、埼玉県越生市上町と早稲田大学演劇博物館、人形の運搬を無償で請け負う株式会社谷中田美術が協力して実現するものです。

 27・28日の2日間、社殿で拝観することができるということです。

August 08, 2005

【やなか掲示板】やなか発のHPで、諏方神社例大祭特集始める

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 8日ーやなか発のホームページを更新しました。8月は、日暮里と谷中地域の鎮守・諏方(すわ)神社例大祭(8月26日〜28日)の情報を中心に随時更新いたします。諏訪神社が御鎮座800年を迎えた記念の年のまつりとそれを支える人たちの思いをお伝えしてまいります。こちらもどうぞ、ご覧ください!

August 07, 2005

【やなかSNAP】圓朝まつり、賑わう

 yanaka0807_2 yanaka0807_3 7日-圓朝まつりが7日、全生庵(谷中5-4-7)で催され、入場するのに長蛇の列ができるほどの盛況ぶりでした。「芸人がいっぱい、芸人と一杯」をテーマに、行われた圓朝まつりは、社団法人落語協会が主催。三遊亭圓朝がなくなった8月11日直前の日曜日に圓朝の法要、扇子のお焚き上げ供養が行われました。また、それにあわせて、ファン感謝デーとして、芸人が趣向をこらした屋台や出店で、ファンをもてなそうと行われています。

 今回は、前日6日にテレビ東京の番組で圓朝まつりが紹介されたこともあり、全生庵の前には朝から長蛇の列ができました。

 私も午後2時頃、列の最後尾につき、約20分並んで入場しました。「悩み相談」、「縁台将棋」、異色なところでは、落語「黄金餅」に出てくる江戸の地名を三遊亭歌之助さんが走り、何キロダイエットできるかを当てるクイズ(当選すると屋久島旅行)という出し物もありました。

 さらに、黒門亭・落語クイズチャンピオン大会が午後2時すぎに催されました。黒門亭は、上野1-9-5の落語協会2階にある寄席で、金・土・日の毎週末に開かれています。クイズによると、5月末に入場者1万人を達成したそうです。そして、このチャンピオン大会に優勝した人は・・・・

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August 05, 2005

【やなかニュース】諏方神社大祭の日程明らかに

yanaka0806  6日-諏方神社大祭 ・御神幸祭の日程がわかりました。諏神社境内を始め、ポスターで掲示されています。

26日(金)大祭式
27日(土)氏子祭・奉納演芸(午後6時~)
28日(日)本社神輿渡御

 本社神輿は3年に1度の例大祭にのみ担がれます。28日の神輿渡御のルートと予定時間は次の通りです。午前は日暮里を、午後は谷中を巡行します。

午前8時40分=日暮里駅前
午前10時=七五三通り
午前11時=西日暮里1丁目交差点付近
午後12時30分=西日暮里5丁目交差点付近

午後2時10分=よみせ通り
午後3時15分=谷中2丁目郵便局付近
午後6時40分=天茶親交会・谷中町町会神酒所付近
午後7時30分=日暮里駅北口坂上
午後8時30分=宮入り

【やなか百景81】平和願い谷中に被爆カキの木2世

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 5日-谷中には、1945年8月9日、長崎で原子爆弾を被爆したカキ(柿)の木の2世があります。

 この木は、谷中コミュニティセンター(谷中5-6-5)から蛍坂への階段脇に植えられています。

 説明板によりますと、この木は、被爆した後、樹木医によって蘇生に成功した木の2世です。1998年3月28日、谷中コミュニティ委員会が、「命の尊さと、平和を愛する心を谷中の子どもたちと一緒に考え、ともに行動し、優しさや人と人との絆を大切にすることを願い」植樹したそうです。

 昨秋、この委員会主催で、被爆柿の木2世からの柿とりや干し柿づくりの親子イベントが催されていました。

August 04, 2005

【やなかの自然21】幸田露伴宅跡のサンゴジュに実

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 4日-幸田露伴が住んでた住居跡に残るサンゴジュ(珊瑚樹)に実の房がなり、赤く色づき始めました(やなか発2005.1.21-【やなかの自然06】幸田露伴居宅跡の珊瑚樹参照)。

 サンゴジュは、初夏に白い花をつけ、秋にかけて真っ赤で光沢のある実となるそうです。その実を赤い珊瑚に見立てて名付けられたということです。

 

August 03, 2005

【やなか掲示板】テレビ番組「アド街」、次回6日の放映テーマは「谷中」

yanaka0803_3  3日-三崎(さんさき)坂にある喫茶前に「8月6日、TV-12CH午後9時~、アドマチック天国で谷中が紹介されます」の貼り紙を見つけました。谷中は、話題も豊富で、近場で取材もしやすいこともあるのでしょうか、テレビカメラとタレント数人による取材陣をよく見かけます。また、長屋や昭和以前を感じさせる佇まいの家屋で、ロケも行われているようです。

 「出没!アド街ック天国」は、テレビ東京系列で、毎週土曜日午後9時から放映されます。谷中は6日の放映予定だそうです。長屋、谷中銀座、富士見坂、路地、ご近所つきあい、朝倉彫塑館、井戸、谷中霊園、七福神、ショウガ・・・・さまざまなキーワードが浮かんできますが、番組ではどのように紹介されるのでしょうか。

August 01, 2005

【やなか掲示板】もう一つの圓朝まつり-8月7日に

yanaka0801  1日-「芸人がいっぱい、芸人と一杯。」をテーマに、圓朝まつり05が7日午前10時から、全生庵(谷中5-4-7)で開かれます。

  江戸落語中興の祖・三遊亭圓朝の法要、扇子お焚き上げ供養、奉納落語会、芸人屋台が行われます。

 この圓朝まつりですが、落語協会のホームページによりますと、発端は、三遊亭圓朝の命日である8月11日に、墓所の全生庵で「圓朝忌」として法要が行われたいたそうです。法要後、「奉納落語」として代表が一人、ご本尊と圓朝師匠に向けて一席行い、境内では扇子と手拭いのお焚き上げが行われていたのだそうです。

 その後、落語協会は2002年から「圓朝忌」を発展的に解消し、「圓朝まつり」と改称してファン感謝デーにすることとし、仏事は継続しながら、落語協会所属の芸人とファンのふれあいの場となったのだそうです。

 残念ながら奉納落語会はすでにチケット完売で、どうやら発売開始直後から辛抱強く電話をかけ続け、さらにラッキーな人でないと手に入らないようです。

 しかしこの日は、境内に芸人が出す模擬店があふれ、サインや写真撮影、パフォーマンス、お宝グッズのオークションなど、盛りだくさんの出しものが用意されるということです。

 芸人屋台やイベントの詳しい案内はこちら
 お問合せ先は、落語協会(電話03-3833-8563)

 

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