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July 06, 2005

【やなか百景75】復元された江戸時代の陶芸家・尾形乾山の墓碑とほか-寛永寺

yanaka0706
 6日-寛永寺に、尾形乾山の墓碑と乾山の功績を讃え世に伝えようと作られた乾山深省蹟の復元されたものがあります。
 尾形乾山は、琳派の創始者、画家・尾形光琳(1658-1716)の弟。1663年(寛文3年)京都で生まれた。乾山のほか、深省・逃禅・習静堂・霊海・紫翠の別号がある。
 台東区教育委員会の説明板によると、画業のほか、書・茶をよくして、特に陶芸は有名で、1711~35年(正徳・享保年間)、輪王寺宮公寛法親王に従って江戸に下り、入谷に窯を開き、その作品は「入谷乾山」と呼ばれたのだそうです。乾山は、1743年(寛保3年)、81歳で没し、下谷坂本の善養寺に葬られました。
 そして、月日の経過につれ、乾山の墓の存在自体忘れされていたところ、光琳の画風を慕う画家の酒井抱一(1761-1828)が探し出し、1823年(文政6年)、讃え広め伝えるための碑「乾山深省蹟」を立てたのだそうです。
 明治末に上野駅拡張のために豊島区西巣鴨に移転した善養寺とは別に、墓碑と乾山深省蹟は、当時鶯谷にあった国華倶楽部の庭に移されました。その後1921年(大正10年)、公寛法親王との縁によって寛永寺境内に移転。さらにその後、西巣鴨の善養寺に移されました。今も善福寺にあり、東京都旧跡となっています。
 現在、寛永寺境内にあるこの2つの碑は、善養寺への移転で乾山の碑の足跡がなくなることを惜しむ人たちによって、1932年(昭和7年)復元され建立されました。
 なお、入谷乾山窯元碑が、入谷ロータリーの一隅にあるそうです。

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