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July 16, 2005

【やなか墓碑案内】日本語の横書き・左起こしを創めた渡部欽一郎の碑

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 16日-谷中霊園の目抜き通り・さくら通りを日暮里駅方面から進む。左手に現れた交番を横目にさらに進むと、自然石の大きな墓碑が目に付きます。その中に、日本語の横書き・左起こしを提案し、制度となるきっかけを作った人・渡部欽一郎の業績を讃える碑があります。それまでは、横書きでも右から文字を読んでいたのだそうです。
 碑には、次のように刻まれています。
 渡部欽一郎さんは、号を柳圃といい、美濃大垣藩(現・岐阜県)の藩士・吉田益五郎の第2子として生まれ、渡部家を継ぎました。藩の役人として職務に励み、明治維新後は伊那県、さらに大蔵省でも昇進し続け、1884年(明治17年)権大書記官(官吏の役職等級で5級)となり、翌1885年には勲六等単光朝日章を賜りました。が、1886年(明治19年)8月25日に42歳で病没し、浅草本願寺に葬されました。 
 功績の一つに、渡部欽一郎が、井上馨大蔵大輔のお供で大阪造幣寮(庁)に赴いた時、西洋人の整然とした簿記に啓発され、帰京後に、日本の簿記の横書き・左起こしを進言し、それが採用されたのだそうです。
 碑には、「渡部欽一郎が勤勉で功績を誇らなかったので、周りの人に才能を知られていなかった。長命であれば大きな業績を残したに違いない」と短命を惜しみ、さらに、「4人の息子と2人の娘に「ひとに接しては正しく、文人や儒学者のようでありなさい。ものに対しては一心に励んで妥協すべきではない。詩歌と音楽を楽しんでゆったりと過ごしなさい」という言葉を残した」と記されています。
 ※印刷機器や活字制作会社のリョービグループの一つリョービイマジクス株式会社の「リョービ書体百花全書2」を参照しました。
 ※写真をクリックすると写真が拡大されます。

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