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July 31, 2005

【やなか掲示板】三遊亭圓朝まつり-1日から全生庵で

yanaka0731_2  31日-三遊亭圓朝まつりが8月1日から31日まで、全生庵(谷中5-4-7)で開かれます。下谷観光連盟と圓朝まつり実行委員会が主催するものです。

 圓朝コレクションの幽霊画が午前10時から午後5時まで公開されます。

 また、圓朝寄席が20日午後6時から催されます。整理券1000円、前売り券700円。お問合せ先は、電話03-3821-3922です。

 三遊亭圓朝(1839-1900)は、落語家です。本名は出淵次郎吉(いずぶちじろきち)。江戸湯島に生まれ。2代三遊亭圓生に入門しました。父親も2代三遊亭圓生の門下生で、橘屋圓太郎(出淵長蔵)といいました。17歳で芸名を圓朝に改め、真打になります。自作自演の怪談噺や取材による人情噺、海外文学作品をもとにした翻案噺にも取り組みました。当時、始まったばかりの日本語速記術によって、圓朝の噺が速記本となり、話題となりました。話し言葉と書き言葉を一致させようという言文一致(げんぶんいっち)が盛んとなることを促したと言われています。

 創作した落語は、「怪談牡丹燈籠(かいだんぼたんどうろう)」、「真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)」、「根岸お行の松・因果塚の由来」ほか多数あります。

 この怪談・牡丹燈籠は、下駄の音を「からんころん」とさせて毎夜訪ねてくる恋人が、実は幽霊で生気を吸われていることに気づいた男が、お寺でお守りとお札をもらい、家に貼ったものの、その幽霊に買収された下男がそれらを取り除いたために、幽霊女に取り殺されてしまうといったようなあらすじだそうです。

【やなか住ネコ25】暑い夜はネコもしゃくしも夕涼み…

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 31日-暑い夜は、ネコもただただ夕涼みをしたいようです。谷中7丁目のアパート、階段口であるにもかかわらず、茶トラが手足を投げ出してゴロ寝をしていました。大胆な寝相にギョッとして、2歩後退し、パチリと撮りました。

 さて、「ネコもしゃくしも」という言葉、「誰も彼も」というような意味で使いますが、その成り立ちをインターネットで検索をしたところ、1.「禰子(神主)も釈氏(僧侶)も」という言葉の字が置き換わった 。2.「女子(めこ)も弱子(子供のこと)も」が変化した。3.杓子」には主婦という意味もあるので、猫も主婦も家内総出でということ-という説が出ていました。

July 30, 2005

【やなか百景80】日暮里駅に長蛇の列出現-「ピカチュウ」だから?

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30日-日暮里駅に長蛇の列が出現しました=写真。劇場などのチケット売り場があるわけでもなく、昨日までは見られなかったこと。午後12時30分のお昼時にもかかわらず、行列ができているのはどうしたことか?

 親子連れの列をたどって先頭にいってみると・・・・。

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July 29, 2005

【やなかニュース】お墓とおまいりの歴史のプチ講演会ー明日30日谷中コミュニティセンターで

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 29日ー「お墓とおまいりの歴史と未来」と題したプチ講演会が30日午後3時〜5時まで、谷中コミュニティーセンター(谷中5-6-5)で催されます。主催は、谷中の文化を大切に育てて未来に受け継ごうと活動するまちづくりグループ・谷中学校です。 お墓の歴史や現在、諸国の埋葬などから、お墓のあり方を改めて考えてみようと催されるもので、講師は、興禅寺(谷中5-2-11)住職の山崎正矩さんです。 この日、谷中学校は午後2時から、1時間の予定で総会を行い、同グループの活動報告やこれからの展望が紹介されるということです。総会もプチ講演会も、会員以外の人も参加できますが、プチ講演会は会費1000円(お茶菓子、資料代含む)です。  お問い合わせ先は、谷中学校事務局です。電話番号は03-5685-1995です。

July 27, 2005

【やなかニュース】諏方神社の御神幸祭ー御鎮座800年の今年は8月28日

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 27日-新堀(にっぽり)・谷中の総鎮守・諏方神社(荒川区西日暮里3-4-8)の3年に一度の御神幸祭が8月28日(日)に行われます。本来は27日に行われるものですが、今年は27日が土曜日に当たるため、翌日の28日に順延されて行われるそうです。本社神輿が出され、一日かけて午前は日暮里を、午後は谷中を練りまわります。

 諏方神社は、創建1205年といわれ、今年で800年となります。それを記念しての催しも計画されているそうです。

 さて、諏方大明神の縁起によりますと、源義朝の家臣で、豊島平四郎という人がいて、義朝が亡くなったため、1160年(永暦元年)、故郷の信州下諏訪に蟄居し、諏訪明神に、再び源氏のために働きたいと祈願したものの病死してしまいました。その平四郎の息子・平六郎は、大変貧しかったのだけれど、お家再興を諏訪明神に祈願したところ、霊験あらたかな夢をみた。そこで、その夢に現れた貴い人の言うとおりに湖水のほとりに行くと、水の中から光が見え、潜ってその光の元を探索したら、御神体と思われるものを発見したという。平六郎は、朝夕、この御神体を祀ったところ、家が栄えだし、1180年(治承4年)、頼朝挙兵の折には、軍功を幾つもたてた。この功績によって、1205年(元久2年)、武蔵国中豊島郡を領地として与えられたことから、豊島平六郎は、豊島左衛門経泰と名乗り、信州から御神体を運んで、祀ったのだそうです。

 その後、経泰の息子で左近太郎の代になると、豊島家は没落したのですが、社はそのまま存在していたのだそうです。そして、あるとき、盗賊が押し入り、御神体を持ち逃げしたのですが、途中、急に足が立ちすくんで、土地の人たちに取り押さえられ、御神体は無事に神社に戻ったということがあり、これを機に、地域の人たちにも産土神として仰ぎ奉られるようになったのだそうです。

 また、かつて神社は、山の麓にあったのですが、山上が開発されたときに、移されたと伝えられているのだそうです。

 ところで、今年の例大祭で渡御する神輿ですが、制作年はわかっていないのですが、1850年(嘉永3年)に修復したという記録があることから、1850年よりも前のものだと考えられています。

※写真は、昭和30年頃の大祭の写真です。牛が荷台を曳き、荷台には神輿と笛・太鼓のお囃子の人たちが乗っています。また、その後ろの宮司らしき人は馬に乗っています。

July 26, 2005

【やなか界隈20】つくばエクスプレス開業記念イベントいろいろ

yanaka0726_2  26日-とうとう「広報たいとう」登場です。以前、このプログでもご紹介しましたが、「つくばエクスプレス(略=TX)」8月24日に開通することを祝う台東区では、さまざまな記念イベントが計画されています。

 つくばエクスプレスは、秋葉原からつくばまでの58.3キロを最短45分で結ぶ路線で、最高運転速度は130キロだそうです。台東区内の駅は「浅草」と「新御徒町」の2つ。新御徒町駅では、都営大江戸線に、また、北千住駅ではJRのほか東京メトロの日比谷線・千代田線にも接続し、埼玉、千葉北西部、茨城方面から東京へのアクセス時間が短縮されそうです。

 主なイベントは次の通りです。

7月22日(金)~8月31日(水)江戸下町伝統工芸館=伝統工芸品オークション。目玉商品出展予定。伝統工芸職人による実演(主催:台東区)

8月1日(月)~31日(水)浅草3丁目=夕方から花行灯を点灯。21日(日)午後5時~は渡辺ひろ美歌謡ショーと芸者衆の浅草太鼓・踊り、ニューオリンズジャズの演奏(主催:みちびき花の辻商店会)

8月4日(木)~9月30日(金)隅田川の川沿いテラス=ライトアップ。一部期間中にカフェテラスもオープン(主催:江戸通り花一商店街など)

8月15日(月)~27日(土)、9月4日(日)合羽橋本通り(東上野6丁目)=開業記念セール。9月4日に豪華景品抽選会と看板動物当てクイズ(主催:合羽橋本通り商和会)

8月21日(日)国際通り(西浅草2丁目)=和太鼓など邦楽ステージほか。商店街で使える特得マップ配布(主催:浅草国際通り商店街連合会)

8月21日(日)言問通り~国際通り~六区ブロードウェイ~ひさご通り=神輿渡御(主催:浅草2丁目町会)

8月21日(日)ロックバンド「浅草ジンタ」による開業を機に制作した「浅草音頭」の披露(主催:浅草西地区商店街協議会)

8月24日(水)~28日(日)小島アートプラザ=地場産業企業や若手デザイナーによる商品の展示販売(ファッション雑貨ウイーク)

8月24日(水)、9月毎日曜日浅草2丁目=おいらん道中(8月24日)、大道芸(9月毎日曜日)(主催:奥山おまいりまち商店街)

9月2日(金)浅草新仲見世商店街(浅草1丁目)=スタンプラリー。全スタンプを揃えると開業記念の浅草限定地ビール・ワイン等贈呈(主催:浅草新仲見世商店街)

9月毎日曜日・浅草たぬき通り(浅草1丁目)=大道芸、9月18日に飲み物提供など(主催:浅草たぬき通り商店会)

9月18日(日)・19日(祝)浅草すしや通り=マグロ解体ショーと試食会、金魚すくい、あめ細工など(浅草すしや通り商店街)

9月23日(祝)浅草寺=コシノジュンコさんプロデュース、浅草伝統の祭り・技芸とファッションのステージ(主催:浅草商店連合会)

 お問合せ先は台東区商業計画課(03-5246-1142)

July 25, 2005

【やなか百景79】千葉大生が谷中の公園テーマにまちづくりを提案

yanaka0725 25日-千葉大園芸学部緑地・環境学科の学生の有志が10日、アートスペース玄(谷中5-7-7)で、谷中の公園をテーマに研究発表を行いました。これは、実測調査・分析・周辺環境との関係性の読み取り・計画概念の構築・具体的な計画という一連の設計作業を学ぶ環境デザイン実習講座の中間報告会として開かれたものです。谷中の公園には、大きな公園にはない印象や魅力があり、それは都市生活に潤いをもたらす何かにつながるものではないかと、区立岡倉天心記念公園、区立初音児童遊園、谷中小学校前ポケットパークの3カ所を研究対象にしたということです。

 10日は、発表者たちは、実測調査から得られた情報をもとに、公園の特徴・よいところや改善点を分析し、今後どのようにデザインを提案していきたいかの抱負を語りました。

 区立岡倉天心記念公園を対象とした学生からは、「長寿者植樹や近隣町会によるお茶会など、コミュニティの豊かさを感じさせる」、「住民の生活が感じられる」、「観光地であり、児童公園という異なるものが集まっている」など、分析が発表されました。これらを、後期の具体的なデザインを地域に提案を結び付けていく予定で、「瞑想の空間にしたい」、「岡倉天心は世界に知られる人、谷中のシンボル公園になる。ハード面ではなくソフト面で美術館の役割をもたせたい」など、意欲的に抱負を述べる学生もいました。

July 24, 2005

【やなかの自然20】ネムノキ-谷中霊園

yanaka0724yanaka0724_2  24日-ひところクチナシやサカキの花の「白」が目に付いた谷中霊園ですが、合歓木(ネムノキ)=写真、夾竹桃(キョウチクトウ)、百日紅(サルスベリ)の「赤い」花が目につきました。このネムノキは、墓所に植えられたものですから、故人が愛好していた木種なのかもしれません。

 ネムノキは、マメ科の植物。名前の由来は、夕方になると葉が合わさって閉じるさまを「眠る」ことに例えたといわれています。花は夕方に咲きます。撮影したのは午後6時頃。葉は閉じています。樹皮や葉は薬草としても使われるようです。

yanaka0724_3 ネムノキの花を接写していたら、脇でモゾモゾと動く影。なんと、隣の墓の前で長い昼寝をしていたらしい黒猫が、大きなあくびをして起き上がったのでした。そういえば、以前もこのあたりで見かけたことがありました。墓守ネコとでもいいましょうか。頻繁に墓参りができない人にとってはありがたいような、単なる迷惑なような・・・。

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【やなか住ネコ24】門番ネコ-谷中7丁目

yanaka0723_3  23日-再登場です。昼間もこの門柱の上でじーっとしているために、気づかず通りすぎそうになりますが、夜ともなれば、灯りの上とはいえ、さらに気づきにくいため、気づいたときにはドキッとしたりもします。写真を撮っていたら、家の中の犬に吠えられました。門番ネコの自由さを、羨んでいるように聞こえました。

July 23, 2005

【やなか百景78】諏方神社-納涼おどりで二重・三重の輪

yanaka0723  23日-諏方神社の納涼祭りが23日、24日の二日間開かれます。初日の今日、夕涼みを兼ねてやってきた子ども連れの親子の姿や浴衣姿の若者のグループの姿が見られました。大木に囲まれた境内に足を踏み入れると、連なった提灯の明かりと、ざわめきに満ちた空気が押し寄せてきました。氏子の協力町会のテントでは、かき氷やフランクフルト、焼きそば、ビール・ジュース等も売られていました。櫓では、音楽にあわせて太鼓の拍子が響き、東京音頭や八木節など、踊りの輪が二重、三重と櫓を囲んでいました。明日24日も午後6時から9時まで開かれます。雨天中止です。

 まつりの夜の神社は、日常とは別世界のような雰囲気があるように思います。子どもの頃の楽しかったまつりの記憶と重ねてみているからでしょうか。

July 20, 2005

【やなか住ネコ23】暑中お見舞いネコ-夕やけだんだん下

yanaka0720  20日-暑中お見舞い申し上げます。JR日暮里駅から谷中方面に目抜き通りを進むと谷中銀座に着きます。その途中に下り階段があり、「夕やけだんだん」と呼ばれています。この夕やけだんだんの上の駐車場周辺は野良ネコの溜まり場!?で、餌を与える人もいて、いつもネコがいます。最近は暑さのために、夕方以降は駐車場で横座りになったり、グテっと前足・後ろ足を投げ出して横になっているネコの姿を見かけます。アメリカンショートヘアーもどきネコがとぼとぼと階段を横切っていました。心なしか暑くて不機嫌そうに見えるのは、ネコを見ている人間の心を投影しているのでしょうか?

July 18, 2005

【やなか百景77】諏方神社納涼祭り-7月23・24日

yanaka0718  18日-諏方神社(西日暮里3-4-8)の納涼踊り大会が23日、24日の2日間午後6時から9時まで催されます。雨天中止です。諏訪神社が主催し、氏子25町会が後援して開かれるもので、盆踊りのほか、出店も予定されています。

 諏訪神社は、日暮里・谷中の総鎮守で、日暮里の高台にあり、かつては東は筑波山、西は富士山を眺めることができた風光明媚なところにあります。縁起は、1205年(元久2年)、豊島左衛門尉経泰が神殿を造営し鎮守として祀ったと伝えられています。

 また、諏方神社の御神幸祭は、8月28日(日)です。今年は3年に一度の本祭であり、御鎮座800年の節目の祭りとなっています。

July 17, 2005

【やなか界隈19】植物画世界の至宝展、明日18日まで

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 17日-「500年の大系、植物画世界の至宝展」が18日まで、東京芸術大学の大学美術館で催されています。英国王立園芸協会日本支部(RHSJ)など主催。
 エリザベス女王を総裁とする英国王立園芸協会は、園芸を愛する世界中の人々に奉仕することを目的に創立されて200周年を迎えたことを記念して開催されたもので、植物画の出発点となった16世紀の植物図譜(近代植物画の祖といわれるレオンハルト・フックスの「新植物誌」)をはじめ、ナポレオン皇帝お抱え絵師ルドゥテ(1759-1840)の未出版書籍、ヴィクトリア女王に仕えた植物画家ウィザーズ(1793-1864)の植物画など、本邦初公開の展示となっています。
 英国では、大航海時代の18世紀、プラントハンターたちが持ち帰った魅力的な植物が栽培されて、園芸ブームが巻き起こり、華麗な植物画は王侯貴族の注目を集めたそうです。その後、写真の出現によって、植物画は記録としてよりもアートとして親しまれるようになったとうことです。
 私は、あらゆる植物図譜の原点で、約1000年に渡って模倣し継承され続けた現存する最古の写本「ディオスコリデス」(紀元6世紀、ウィーン国立図書館所蔵)の精緻に描写にうなり、また、モモやブドウ、イチジクなど植物の固さや甘さまでも表現しているように思えるフッカーの果物画に魅せられました。

 東京芸術大学の大学美術館では、同時に「芸大コレクション展・柴田是真-明治宮殿の天井画と写生帖-」(8月7日まで)が催されています。柴田是真・真哉親子は、1945年(昭和20年)に戦災で焼失した明治宮殿の千種之間と呼ばれた140畳ほどの広間の格天井に張られた綴錦(つづれにしき)の下絵112枚を担当しました。直径1メートルを超える花丸の図を2人はわずか2カ月で完成させたのだそうです。その天井画の下絵と、柴田是真が書き溜めた95冊の写生帖のうち花鳥の写生などが公開されています。
 余談ですが、この天井画は、映画「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督・スタジオジブリ2001年制作)の舞台として描かれた湯屋の天井画・花丸のモデルになっているのだそうです。(湯屋のモデルは目黒雅叙園とか)。

 ※「植物画世界の至宝展」のチケットで、「柴田是真-明治宮殿の天井画と写生帖-」展も入場できます。(当日券:一般1200円、大学・高校生800円、中学生以下は無料)
 ※「植物画世界の至宝展」の巡回予定。7月23日~9月4日神戸市立小磯記念美術館、10月22日~11月20日全国都市緑化ふくおかフェア

July 16, 2005

【やなか墓碑案内】日本語の横書き・左起こしを創めた渡部欽一郎の碑

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 16日-谷中霊園の目抜き通り・さくら通りを日暮里駅方面から進む。左手に現れた交番を横目にさらに進むと、自然石の大きな墓碑が目に付きます。その中に、日本語の横書き・左起こしを提案し、制度となるきっかけを作った人・渡部欽一郎の業績を讃える碑があります。それまでは、横書きでも右から文字を読んでいたのだそうです。
 碑には、次のように刻まれています。
 渡部欽一郎さんは、号を柳圃といい、美濃大垣藩(現・岐阜県)の藩士・吉田益五郎の第2子として生まれ、渡部家を継ぎました。藩の役人として職務に励み、明治維新後は伊那県、さらに大蔵省でも昇進し続け、1884年(明治17年)権大書記官(官吏の役職等級で5級)となり、翌1885年には勲六等単光朝日章を賜りました。が、1886年(明治19年)8月25日に42歳で病没し、浅草本願寺に葬されました。 
 功績の一つに、渡部欽一郎が、井上馨大蔵大輔のお供で大阪造幣寮(庁)に赴いた時、西洋人の整然とした簿記に啓発され、帰京後に、日本の簿記の横書き・左起こしを進言し、それが採用されたのだそうです。
 碑には、「渡部欽一郎が勤勉で功績を誇らなかったので、周りの人に才能を知られていなかった。長命であれば大きな業績を残したに違いない」と短命を惜しみ、さらに、「4人の息子と2人の娘に「ひとに接しては正しく、文人や儒学者のようでありなさい。ものに対しては一心に励んで妥協すべきではない。詩歌と音楽を楽しんでゆったりと過ごしなさい」という言葉を残した」と記されています。
 ※印刷機器や活字制作会社のリョービグループの一つリョービイマジクス株式会社の「リョービ書体百花全書2」を参照しました。
 ※写真をクリックすると写真が拡大されます。

July 15, 2005

【やなか界隈18】うえの夏まつり、17日から8月7日まで

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 15日-うえの夏まつりが17日から始まります。東京都、台東区、上野観光連盟が主催するもの。パンフレットには、今年初めて不忍池畔に「蓮見茶屋」が作られ、日替わりで演芸も行われるそうです。そのほか、不忍池では、さまざまなイベントが予定されています。
7月17日(日)~8月7日(日)みずどりのステージ、ライブや演歌、寄席、踊りなど場所:水上音楽堂
7月18日(祝)・23日(土)・24日(日)・30日(土)・31日(日)・8月6日(土)・7日(日)午後5時~弁天堂大道芸、場所:弁天堂境内
7月17日(日)午後7時~とうろう流し、場所:ボート池(弁天堂境内受付)
7月17日(日)~8月7日(日)午後4時~10時植木市・縁日・骨董市、場所:不忍池畔
7月22日(金)午後3時~氷の彫刻、場所:みずどりのステージ前
7月31日(日)午前11時~納涼ゆかた撮影会、場所:不忍池畔
8月6日(土)午後4時~8時30分UENO JAZZ INN'05 会場:不忍池、みずどりのステージ、入場料:前売り2500円・当日3000円(いずれも全席自由)

July 11, 2005

【やなか回覧板】防災を考えようと講習会―19日、谷中コミュニティセンター

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 11日ー回覧板から、谷中のまちづくり活動をご紹介します。
 谷中地区の防災まちづくりを考える谷中地区まちづくり協議会の防災部会が19日午後7時から9時まで、「第1回防災講習夜話・ひとのつながり、まちのつながりを安心へつなげる」を、谷中コミュニティセンター1階会議室で催します。
 話し手は、墨田区一寺言問(いちてらこととい)を防災のまちにする会(通称・一言会)の佐原滋元(しげもと)さん。一言会は、墨田区向島の一寺地区と言問地区の住民による会で、災害時の水源する雨水の貯水槽「路地尊」を設けるなどの、活動をしているそうです。
 また、防災部会のメンバーによって、千駄木小学校と文林中学校で行われている学校での避難所宿泊体験などの体験事例も披露されるということです。
 谷中地区まちづくり協議会は、今年度の活動として、避難所生活を想定した訓練(11月頃)や、震災と地区内の住宅火災を想定した防災ふれあい広場と谷中霊園への避難訓練(9月4日)などを予定しているということです。
 また、防災部会では、谷中の災害に対する安全を考える仲間を募集中だということです。
 連絡先は、電話03-3822-3531NPO法人ひとまちCDCです。

July 10, 2005

【やなかニュース】JR日暮里駅エスカレータ設置工事-11・12番線の南部乗り換え通路・上野方面階段で、16日から利用不可に

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 10日-JR日暮里駅は、エスカレータ設置工事のため、一部の階段の利用ができなくなる期間の案内を出しました。利用ができなくなる階段は、いずれも上野方面の南部乗り換え通路で行われます。利用できない期間は11番・12番線ホームが7月16日から8月上旬までの間、9番・10番線ホームが7月20日から8月中旬までの間、3番・4番線ホームが7月24日から8月中旬までということです。

【やなか住ネコ22】傷ついたネコ-上野桜木2丁目

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 10日-上野桜木2丁目には、行列のできる洋菓子店「パティシエ イナムラショウゾウ」があります。その洋菓子店の近くで、血の色をした目ヤニをつけたネコがとぼとぼと歩いているのを見かけました。縄張り争いの結果でしょうか。

July 09, 2005

【やなか界隈17】駒込大観音もほおづき千成り市-奉納パフォーマンス満載

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 9日-駒込大観音(文京区向丘2-38-22)でも、9日・10日の2日間、四万六千日の縁日にちなみ、ほおずき千成り市が開かれています。薩摩琵琶やダンス、太鼓など、境内ではパフォーマンスが両日とも、午後4時から9時頃まで催されます。9日は、夕方から雨が降り始めましたが、ダンスパフォーマンスが元気に繰り広げられ、アクセサリーやネコの小物、手作りケーキなど出店がもりだくさんの品物を並べていました。
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 駒込大観音は、大和国(現・奈良県)長谷寺本尊の十一面観音を模して1697年(元禄10年)に建立されました。当時の像の高さは、約8メートル。長谷寺の観音様と同様、地蔵菩薩の持ち物である錫杖を持ち、岩の上に立ち、お地蔵さまの慈悲を併せ持つ観音さまとして信仰されてきました。
 江戸名所図会にも図版が載っている駒込大観音と四万六千日の縁日・ほおずき市ですが、1945年5月25日の東京大空襲で、観音像は堂宇もろとも灰になってしまいました。再興されたのは、1993年(平成5年)5月18日のことです。再興された十一面観音は、高さ約6メートル。仏像彫刻家・西山如雲さんが、父・如拙さんの監修で、木曾檜を使った寄木造りで彫刻し、東京都伝統工芸士の藤原茂夫さんが漆塗りと金箔・金粉を施して仕上げたということです。
 

【やなか界隈16】ほおずき市-浅草寺・四万六千日

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 9日-7月9日・10日の2日間、浅草寺は四万六千日(しまんろくせんにち)と境内にほおずき市が立ち、参拝者で賑わいます。ほおずきの鉢を並べた露店に、粋な女性がほおずきを売っていました=写真左。まとめ上げた髪留めも、ほおづき飾りでした。ほおずきの鉢の値段は一鉢2500円までのようでした。
 四万六千日は、この日に参拝すれば四万六千日分の参拝と同じだけの功徳が得られるとされ、7月10日がその日に当たるのだそうです。
 

July 08, 2005

【やなか界隈15】入谷の朝顔まつり賑わう

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 7日-入谷朝顔まつりが6日~8日の3日間、入谷鬼子母神(台東区下谷1-12-16)境内、とその近接商店街などで催されました。下谷観光連盟と入谷朝顔実行委員会が主催するもので、朝顔の即売や川柳句会(6日)などが行われました。鬼子母神周辺の歩道は、朝顔の即売店が軒を並べ、景気のよい呼び声が飛び交っていました。朝顔のあんどん造りが2000円、小豆色で大輪の団十郎という種類の朝顔が3000円など。
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 パンフレットによりますと、朝顔の手入れのポイントは、
1.8月中旬頃までは花がしぼんだ時点で摘み取って種子をつけないようにする。
2.来年のための種子は9gatu中旬頃咲いた花で採る。
3.永い日照が大切で、夜露に当てる。
4.水は毎日2回欠かさず。汲み置きの水か米のとぎ汁なら最適。
だということです。
 私は、鬼子母神で朝顔飾りのついたお守り(800円)を買いました。
 入谷鬼子母神は、狂歌師・大田南畝(蜀山人ともいう、1749-1823)の狂歌「恐れ入谷の鬼子母神、そうで有馬の水天宮、志れやの内のお祖師さま」というシャレ言葉のように、江戸時代から広く知られていたそうです。1659年(万治2年)に、沼津の法華宗大本山徳永山光長寺第20世高運院日融聖人が、百姓・利兵衛から入谷の土地を買い、仏立山真源寺を開基し、日蓮大聖人の御尊像とともに、鬼子母神像を祀ったのだそうです。
 鬼子母神の御本体は、一寸八分(約5.4センチ)の木像で、仏像彫刻で知られた光長寺の開祖・日法上人が彫り、日蓮大聖人が開眼したと伝えられているということです。
 境内には、ザクロの木陰に正岡子規らの碑があります。
 漱石来る
 蕣(あさがお)や君いかめしき文学士 子規
 入谷から出る朝顔の車哉 子規
 朝顔も入谷へ三日里帰り 日東(仏立山)

July 07, 2005

【やなか百景76】虫図譜のモデルを慰霊した虫塚-寛永寺

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 7日-虫類を写生して図鑑「虫豸帖(ちゅうちじょう)」は、大名画人・増山雪斎(1754-1821)の作です。精緻さと正確さで知られているそうです。
 増山正賢(雪斎)は、1754年(宝暦4年)に伊勢長島(現・三重県)藩主・正贇の長子として江戸屋敷で生まれました。雪斎は号。玉園、蕉亭、石顛道人、巣丘隠人など多くの別号を持っています。江戸の文人・大田南畝(なんぼ、1749-1823)や大阪の豪商・木村兼葭堂(けんかどう、1736-1802)など、文人墨客と交流を持ち、パトロンとしても活躍しました。自らも清朝(中国)の画家・沈南蘋(しんなんびん、1682-1760)に代表される南蘋派の写実的な画法に秀で、多くの花鳥画を描いています。
 虫塚は、当初、増山家の菩提寺・寛永寺子院の勧善院内にありましたが、昭和初期に寛永寺に合併されたため、現在の場所に移されました。勧善寺は、4代将軍徳川家綱の生母で、増山氏の出である宝樹院の霊廟の別当寺(神社に設けられた寺、)として創建されています。
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 碑は自然石で、正面は儒学者・葛西因是(かさいいんぜ、1764-1823)の撰文を漢詩人・大窪詩仏(1767~1837)が書し、裏面は詩仏と菊池五山(きくちござん、1769- 1849)の自筆の詩が刻まれて、当時の有名な漢詩人たちが、増山雪斎の遺志を継いで、写生に使った虫類の霊を慰めるために建てたことがわかります。

July 06, 2005

【やなか百景75】復元された江戸時代の陶芸家・尾形乾山の墓碑とほか-寛永寺

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 6日-寛永寺に、尾形乾山の墓碑と乾山の功績を讃え世に伝えようと作られた乾山深省蹟の復元されたものがあります。
 尾形乾山は、琳派の創始者、画家・尾形光琳(1658-1716)の弟。1663年(寛文3年)京都で生まれた。乾山のほか、深省・逃禅・習静堂・霊海・紫翠の別号がある。
 台東区教育委員会の説明板によると、画業のほか、書・茶をよくして、特に陶芸は有名で、1711~35年(正徳・享保年間)、輪王寺宮公寛法親王に従って江戸に下り、入谷に窯を開き、その作品は「入谷乾山」と呼ばれたのだそうです。乾山は、1743年(寛保3年)、81歳で没し、下谷坂本の善養寺に葬られました。
 そして、月日の経過につれ、乾山の墓の存在自体忘れされていたところ、光琳の画風を慕う画家の酒井抱一(1761-1828)が探し出し、1823年(文政6年)、讃え広め伝えるための碑「乾山深省蹟」を立てたのだそうです。
 明治末に上野駅拡張のために豊島区西巣鴨に移転した善養寺とは別に、墓碑と乾山深省蹟は、当時鶯谷にあった国華倶楽部の庭に移されました。その後1921年(大正10年)、公寛法親王との縁によって寛永寺境内に移転。さらにその後、西巣鴨の善養寺に移されました。今も善福寺にあり、東京都旧跡となっています。
 現在、寛永寺境内にあるこの2つの碑は、善養寺への移転で乾山の碑の足跡がなくなることを惜しむ人たちによって、1932年(昭和7年)復元され建立されました。
 なお、入谷乾山窯元碑が、入谷ロータリーの一隅にあるそうです。

July 05, 2005

【やなか墓碑案内】慈海僧正の墓-寛永寺境内

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 5日-寛永寺境内にある慈海僧正の墓です。正面中央に、聖観音菩薩、右側に「当山学頭第四世贈大僧正慈海」、左側に「山門西塔執行宝園院住持仙波喜多院第三世」、背面に「元禄六年癸酉二月十六日寂」とあります。
 東京都指定旧跡です。
 説明板によりますと、慈海僧正は、学徳をもって知られ、東叡山護国院、目黒不動、比叡山西塔宝園院、川越仙波喜多院を経て東叡山凌雲院に入ったそうです。東叡山とは寛永寺の山号で、この寛永寺一山を統括、代表する学頭には、凌雲院の住職が就任することを慣例としていました。
 学頭は、門主・輪王寺宮の名代を務め得る唯一の有資格者で、学頭の名のとおり宮や一山の学問上の師でもありました。このことから、学頭となった慈海僧正が備えた能力と付随する地位、権力のほどが伺えます。
 慈海版として知られる「法華経」、「薬師経」の翻刻、「四教義算注」、「標指鈔」30巻の著作があるそうです。
 1624年(寛永元年)目黒で誕生し、70歳で没しました。没後、公弁法親王の奏請によって大僧正の位が贈られました。
 墓は初め、凌雲院にありましたが、1958年(昭和33年)東京文化会館建設のため寛永寺に移されたということです。

July 04, 2005

【やなか百景74】寛永寺本堂

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 4日-寛永寺の現本堂は、東京国立博物館や東京藝術大学そば(台東区上野桜木1-14-11)にありますが、旧本堂(根本中堂)は東京国立博物館前の噴水池あたりにありました。1868年(慶応4年)、彰義隊などの旧幕府軍と薩摩藩・長州藩を中心とした新政府軍の間で起きた上野戦争で焼失。そのため、1876年(明治9年)から12年をかけて、埼玉県川越市の喜多院の本地堂(ほんじどう)が移築され本堂とされました。1638年(寛永15年)の建造といわれているそうです。
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  台東区教育委員会の説明板をみますと、造りは、間口・奥行きともに7間(17.4メートル)。前面は、3間広さで社殿の正面階段の上に張り出したひさしの部分(向排・ごはい)と5段の木階があり、背面にも1間の向排があります。本堂の周囲に、端の反り曲がった欄干(勾欄)がついた縁側がぐるりを囲んでいます。正面中央などの桟唐戸(さんからど)、正面左右などの蔀戸(しとみど)、板壁など、彩色されておらず、屋根は入母屋造、本瓦葺、縦に2重垂木。
 内部は、仏像が安置される所・内陣が土間で、人々が拝礼する所・外陣と同じ高さの仏像を安置する壇(須弥壇)が設けられた天台宗独特の中堂造りですが、現在は仮りの床が張られ、内外陣とも畳敷きとなっているそうです。
※写真下=浮絵東叡山御中堂之景・北尾重政画(根本中堂前の説明板から) 

July 03, 2005

【やなか住ネコ21】「うざいのよ・・・」-谷中霊園の茶トラ白ソックスと黒

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 3日-暑さが一段落した夕暮れどき、谷中霊園でくつろいでいる2匹に遭遇。近づいても動じない白いソックスを履いた茶トラと、おめかしに夢中の黒。「うざいのよ・・・」とでもいうように、まぶたを少し開いてカメラ目線をくれました。

【やなか界隈14】7月6・7・8日は、入谷の朝顔まつり

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 2日-入谷界隈を歩いていたら、朝顔まつりのポスターが目に入りました。7月6~8日の3日間、入谷鬼子母神(真源寺・台東区下谷1-12-16)と入谷中央商店街によって、境内と言問通りに100以上の店が並び、約2万以上の朝顔の鉢が売られるそうです。
 入谷中央商店街公式ホームページによりますと、朝顔は、奈良時代に薬用として中国から輸入されたそうで、当初は青色のみだったのが、のちに白、赤も作られ、江戸時代の文化・文政(1804-30)の頃から観賞用として栽培されるようになったそうです。
 入谷の朝顔が世に知られるようになったのは、明治中期で、植木師・成田屋留次郎が、田崎草雲(1815-98)の画で江戸・京都・浪花から84品種を選んで図説「三都一朝」を著わしたり、各地で「花合わせ会」を開くなどを行ったことにあるそうです。
 終戦後、入谷の商店街の再建と人々の心に潤いを取り戻そうとの思いから、1948年(昭和23)、朝顔を中心とした植木市が行われるようになり、現在は朝顔のみを売る「朝顔まつり」として、七夕の7月7日を挟む6日から8日までの3日間に開かれるということです。

July 02, 2005

【やなか墓碑案内】女子教育、障害者教育にも尽力した中村正直の墓-谷中霊園

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 1日-明治時代に女子教育や障害者教育にも力を注いだ中村正直(なかむら・まさなお)の墓が、谷中霊園にあります。霊園の目抜き通りであるさくら大通りに交差する銀杏通り沿いです。この墓は、東京都指定の旧跡ともなっています。
 都教育委員会の説明板は次の通りです。「 明治時代の教育者、啓蒙学者。
 1832年(天保3年)幕臣中村武兵衛の子として江戸に生まれ、幼名を釧太郎、名を正直、号を敬宇(けいう)という。昌平坂学問所に入り、佐藤一斎(儒学者、1772-1859)について儒学を学ぶ。慶応2年)幕府の英国留学生派遣に取締として同行、英国市民社会の実情に触れた。
 1872年(明治5年)新政府に出仕し、大蔵省翻訳御用を務めるかたわら、翌年、家塾同人社を開いた。女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)校長就任、訓盲院の開設など、女子教育、障害者教育にも力を注ぎ、東京帝国大学教授、元老院議官、貴族院議員も歴任した。
 1891年(明治24年)6月7日、60歳で病没。
 正直は、西周(にしあまね、思想家、1829-97)、神田孝平(蘭学者、1830-98)らと明六社を起こし、啓蒙思想の普及に務め、日本近代化に貢献した。
 訳著書に「西国立志編」、「自由之理」などがある」

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