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June 29, 2005

【谷中超私的!】壁に現れる郵便受け

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 29日-まちの散策には、「へ?」と驚き、それに注意をしていると「!」、「!!!」と自分の中で不思議が発見になり、愉快になるという楽しさがあるように思います。
 谷中で「へ?」と驚いたものの一つに、郵便受けがあります。写真上左はお寺さんの塀に、突然現れる郵便受け、写真上右は民家で、道路沿いではなく、路地側の壁に設けられた郵便受けです。
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 私にとっての郵便受けは、写真下のような箱を玄関や門柱その付近に外付けするものでした。
 ですから、壁に突然現れた郵便受けは「!」驚きだったわけです。けれど、想像してみれば、確かに、玄関から出て、門の外につけたポストまで、新聞や手紙を取りに行くよりも、部屋の窓を空ければ、すぐに塀となるのなら、そこにポストを付けた方が便利なことは確か。気にしてみれば、寺に限らず一般の住居でも同様なしつらえがあり、都下の住居空間の利用に、びっくりするやら関心するやら。あたり前のことなのでしょうが、私的!!!ものでした。

※明日30日は更新をお休みします。

June 28, 2005

【やなか住ネコ20】酒屋の店番ネコ・白黒ブチ-夕やけだんだんの上

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 28日-谷中銀座へ続く夕やけだんだん(階段)の上にある酒屋・大島酒店(西日暮里3丁目)の店先です。白黒ブチが香箱を組んで店番をしていました。手を出すと擦り寄るのではなく逃げる「谷中ネコ」です。ちなみに、この白黒ブチは鼻の左下に黒い鼻クソ模様があり、実に愛嬌があります。

June 27, 2005

【やなか墓碑案内】高橋お伝の墓-谷中霊園

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 27日-永久寺(台東区谷中4-2-37)に眠っている劇作者で新聞記者の仮名垣魯文(1829-94)は、1879年(明治12年)、高橋阿伝夜叉譚(たかはしおでん・やしゃものがたり)を「かなよみ新聞」に連載しています。
 これは、後藤吉蔵という人を剃刀で殺害し、1879年1月に斬首刑に処せられた高橋阿伝という女性を、いち早く取材して連載したため、評判となったといわれています。
 この高橋阿伝の墓は、谷中霊園にあります。JR日暮里南口から上野方面に抜けるさくら大通りを進むと、霊園出口左手に公衆トイレがありますが、阿伝の墓はそのトイレの手前の通り沿いにあります。
 墓碑の高さは約2メートル、正面の幅は約1メートルの自然石で、中央に書かれた「高橋お伝の墓」の書は仮名垣魯文によるものです。向かって右には辞世「しばらくも望みなき世に あらむより渡しいそげ三途の河守」(仮名垣魯文の書)が、向かって左には「建主 小川市太郎」とあります。背面は、「明治14年1月3回忌和同開珎社 世話人仮名垣魯文」とあり、名前が列挙されています。
 

June 26, 2005

【やなか百景73】仮名垣魯文の猫塔記念碑-永久寺

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 26日-永久寺(台東区谷中4-2-37)に、幕末から明治時代にかけて活躍した劇作家で、新聞記者・仮名垣魯文の墓と、魯文の猫塔記念碑があります=写真右
 これは、縦横40センチ四方の石をくり抜いて三方に丸窓をあけて、中には山猫の石像が納められ、上は蓮華の葉とつぼみの石がのっている塔です。
 仮名垣魯文は、1878年(明治11年)7月21日東両国の中村楼で「珍猫百覧会」を開き、書画や骨董など猫の収集物を展示したそうです。その会は、参観者2000人を超えるほど盛況で、その利益金でこの記念碑が建立されたといわれているそうです。
 また、山猫めをと塚=写真左は、1881年(明治14年)に建てられたもので、永久寺にはこのほか、山猫雌雄(めおと)の絵図があるそうです。

June 25, 2005

【やなか墓碑案内】仮名垣魯文の墓-永久寺

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 寺町である谷中のお寺には、歴史の表舞台で活躍した人たちの墓碑が散見されます。幕末や明治ともなりますと、隔世の観がある一方、過去から未来へ続く人々の営みを感じたりもします。
 永久寺(台東区谷中4-2-37)に仮名垣魯文(かながき・ろぶん)の墓があります。
 台東区教育委員会の説明板によりますと、仮名垣魯文は幕末・明治時代の劇作者、そして、新聞記者で、本名は野崎文蔵、号を鈍亭、猫々道人(みょうみょうどうじん)などといいました。1829年(文政12年)江戸京橋生まれ。商家に奉公したが、戯作者を志し、1860年(万延元年)、「滑稽富士詣」を書いて世に出ました。
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 明治時代になると、当時の文明開化の世相を風刺した「西洋道中膝栗毛」「安愚楽鍋」等の作品を発表。花形作家となった。のち、ジャーナリズムの世界に転じ、「横浜毎日新聞」「仮名読売新聞」「いろは新聞」「今日新聞」などに関係し、活躍しました。1879年(明治12年)に発表された仮名垣魯文の「高橋阿伝夜叉譚(たかはしおでん・やしゃものがたり)」は世上を沸かせたそうです。1894年(明治27年)、66歳で死去。
 余談ですが、高橋お伝という人は、1879年1月31日、東京・市ヶ谷の監獄で最後の斬首刑となった女性で、毒婦と称されたそうです。
 ※写真上=正面は観音像石彫刻、
 ※写真下=墓石に向かい左の側面「遺言本来空 財産無一文 俗名 仮名垣魯文」

June 22, 2005

【やなかの自然19】イワガラミ-谷中の永久寺

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 22日-三崎坂の永久寺(台東区谷中4-2-37)の塀で、今、一面にイワガラミが花を咲かせています。ユキノシタ科で、日本と朝鮮の山地で見られるつる性落葉植物です。若葉は食用とされるそうです。花の姿はアジサイに似て、薄黄色の小花が集まって咲き、外側の白い花びらにみえるものは萼(がく)片で、飾り花といわれるのだそうです。イワガラミはこの飾り花が1枚で、よく似ているといわれるツルアジサイは飾り花が4枚あるのだそうです。

June 21, 2005

【やなか住ネコ19】愛嬌たっぷり茶トラ-谷中7丁目

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 21日-足音を聞きつけて、ドテッと横になり、体をクネクネ。「撫でて~」オーラを発した茶トラ。谷中のネコは首輪をしていても、めったやたらと寄ってこないので、珍しく飼い猫っぽいネコに出会いました。

June 20, 2005

【やなか百景72】まちの話題は「お猿出現」

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 20日-ここ谷中では、今、スーパーマーケットなど、まちで聞こえてくるのが「お猿出現」の話題です。これは、谷中霊園の事務所近くの桜の木につけられたポスターです。谷を挟んだ文京区の市民緑地「千駄木ふれあいの杜」・通称「屋敷森」でもサルを目撃したという情報があるほか、台東区のホームページには、20日午後4時40分ごろに、上野公園の東京都立美術館付近でサルを目撃したという情報が台東区に寄せられたことが報じられています。
 台東区は、サルに遭遇したときは、なるべく目を合わさず、やり過ごして、区危機管理室生活安全推進担当 (電話03-5246-1044 )まで連絡してほしいと呼びかけています。

June 19, 2005

【やなかニュース】「早く開放して」意見相次ぐ-防災広場の基本構想で意見交換会

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 19日-谷中5丁目セブンラックス跡地の防災広場整備の基本構想案の説明、意見交換会が16日、谷中コミュニティセンターで開かれ、約40人ほどが出席しました。台東区都市づくり部地区整備課が開いたもので、会場中央に広場の模型が置かれ、これまでの検討経過、意見のまとめ、基本構想案などが報告されました。
 2年前に台東区が7000平方メートルの用地を取得したのち、地域代表ら30人による検討委員会が設けられたほか、ヒアリングやアンケート調査などが行われてきたということです。
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 その中で、広いオープンスペースをできる限り現状のままで確保し、原っぱとしてほしい、防災機能をもたせてほしい、斜面緑地の緑は自然を生かした学びの場、地形を生かした遊びの場としてほしいなどの意見が多かったこと、コミュニティセンターと子どもクラブの拡充の要望があることなどが報告されました。その他の要望に対しては、プレーパークやビオトープなどは、住民による維持管理の観点での検討が必要であること、フットサル場などの整備は、広いスペースの確保と合い入れないため施設としては整備しないが、維持管理の方針を決めるときに検討したいと説明がありました。
 さらに、コミュニティセンターの建て替えや増改築の検討もしてきたが、現在は予算の裏づけがないため、将来建て替えができるように、建て替え後に利用が予想されるスペースは空き地のままにする考えであることが説明されました。
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 会場からは、「広場をとりあえず、使えるようにしてほしい」、「暫定利用は難しいと2年過ぎた。叩き台より先に進んでほしい」、「暫定利用をするには整地が必要。その予算は付かないのか」などの意見が相次ぎました。
 地区整備課の橋本課長は、「できるだけ早く開放できるように検討します。防災広場としてのカマドやトイレ、備蓄倉庫の整備などはさせてほしい」と述べました。
 また、台東区は、今後の予定として、広場の自主管理を念頭に入れた作業部会を設ける考えで、委員を募っていること、基本・実施設計の業者も早く決めて部会に参加してもらい、設計に反映させたいと考えを説明しました。

June 18, 2005

【やなか百景71】藍染川と枇杷橋(合染橋)跡

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 18日-文京と台東の区境の道路は、うねうねと蛇行しています。この道は現在暗渠となっている藍染川の流路です。
 文京区教育委員会の説明板には次のように書かれています。
 「新編武蔵風土記稿」によれば、水源は染井の内長池(現在の都営染井霊園の北側の低地)で、ここから西ヶ原村へ、さらに、駒込村から根津谷に入る。不忍池から上野の山の三枚橋下(公園入り口のところ)で忍川になり、三味線堀から隅田川に注ぐ。
 川の名は、上流から境川、谷戸(たにと)川(谷田・やた川)・藍染川などと呼ばれた。藍染の名の由来はいろいろある。染井から流れ出るから、川筋に染物屋があり川の色が藍色に染まっていたからなど。
 前方の道路の交わるところに、藍染川に架かる橋があった。江戸時代の「御府内備考」や「新編武蔵風土記稿」によれば、この橋は、合染橋、藍染端、琵琶の橋(のち枇杷橋)などと呼ばれた。また旧八重垣町にも同名の藍染橋があった。
 川は、水はけが悪くよく氾濫したので、1921年(大正10年)から暗渠工事が始められ、現在流路の多くは台東区との区境の道路となっている。

June 16, 2005

【やなか百景70】日暮里駅東口への階段が仮設に、新交通・日暮里舎人線整備で

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 16日-日暮里駅東口広場への昇降は、新交通・日暮里-舎人線の整備に伴い今日から仮設階段を使うことになりました。日暮里・舎人線は、荒川区の日暮里から足立区の見沼代親水公園までの約9.8キロを20分ほどで結ぶ計画です。駅は13カ所設けられ、東京都が主要構造物を作り、東京都地下鉄建設株式会社が各種設備の整備と運行・経営し、開業は2007年を目指しているということです。新交通とは、ゆりかもめのように専用軌道で走り、バスと電車の中間の輸送力をもつ交通機関のことだそうです。駅前の再開発事業とともに、まちの開発が目に見えたものとなってきました。

June 15, 2005

【やなか住ネコ18】路地の鼻ブチネコ-谷中7丁目

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 15日-この鼻ブチネコも谷中7丁目に住んでいます。御用達のお宅があるようで、首輪をつけています。愛想がよく、立ち止まって話しかけると足下に寄ってきてくれます。

June 14, 2005

【やなか百景69】蛍で知られた萩寺-宗林寺

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 14日-1772年(明和9年)刊行の「再校江戸砂子」に「宗林寺前より七面へゆく坂」として七面坂が紹介されています。そこで宗林寺は坂下にあるかと思いきや、現在の七面坂を下った正面は本授寺(谷中3-11-16)、坂を下りて右にあるのは長明寺(谷中5-10-15)。宗林寺は、七面坂を下り、六阿弥陀道をしばらく三崎坂方面に歩いて右手にあります。
 台東区教育委員会の説明板によりますと、宗林寺は「再校江戸砂子」に、蛍の地とされ、その蛍はほかよりも大きく、光もよいと書かれているのだそうです。また、境内には萩が多かったので萩寺と呼ばれたそうで、今も山門から本堂への参道などに萩が植えられています。

June 13, 2005

【やなかの自然18】クチナシ-谷中霊園

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 13日-この時期に谷中霊園で、芳しい香りを放っているのはクシナシです。クチナシの芳香は、春のジンチョウゲ(沈丁花)、秋のキンモクセイ(金木犀)に並ぶといわれています。実はオレンジ色で、薬用・染料に使われているそうです。

June 11, 2005

【やなかの自然17】タイサンボク-谷中・天王寺

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 11日-谷中・天王寺(台東区谷中7-14-8)の境内は、芳しい香りが満ちています。銅像・釈迦如来坐像の脇に育ったタイサンボク(泰山木)が大輪の白花を次々と咲かせています。花弁に近づいて香り楽しむと、スイカの皮の部分のような甘いというよりは、清涼を感じさせる香りです。

June 09, 2005

【やなかニュース】JR日暮里駅南口にエスカレータ、8月中旬使用開始予定

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  9日ーJR日暮里駅の改良工事が始まっています。このほど、事業計画の内容と完成予定時期が明らかになりました。
  現在、南口改札へのこ線橋とホームとを結ぶエスカレータを設ける工事が行われます。京浜・山手内回りホーム(11・12番)、京浜・山手外回りホーム(9・10番)、常磐線ホーム(3・4番)にそれぞれ上りと下りエスカレータがつけられ、使用開始は8月中旬の予定だということです。
 また、北口改札へのこ線橋工事は、エスカレーターとエレベーターが設置される予定です。南口と同様3つのホームに設けられます。工事期間は来年度と再来年度の2カ年になるということです。

June 08, 2005

【やなか散策】高橋泥舟の墓-大雄寺

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 8日-寺町・谷中。大雄寺(谷中6-1-26)の山門をくぐると、傘のように枝が境内を覆っている巨樹・クスノキに圧倒されます。そのクスノキの根元にあるのが高橋泥舟の墓です。
 高橋泥舟(1835-1903)は幕末期の幕臣で、槍術家。
 1835年(天保6年)2月17日、山岡正業の次男として生まれ、母方を継いで高橋包承の養子となりました。剣術の名人で、21歳で幕府講武所教授、25歳で同師範役となり、従5位下伊勢守に任ぜられました。
 幕府が1862年12月、江戸で浪士を集め、翌1863年2月に京都へ送った際、泥舟は浪士の取扱役となりましたが、浪士が尊皇攘夷派と提携したため疑いを受けて任を解かれました。しかし、同1863年12月には師範役に復職し、1867年(慶応3年)新設された「遊撃隊」頭取となりました。
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 1868年(慶応4年)、幕府が鳥羽伏見の戦いに敗れた後、主戦論者の多い中で、泥舟は将軍徳川慶喜に恭順の道を説き、慶喜が江戸城から東叡山寛永寺子院の大慈院に移った際もついで水戸に転居した際にも警護にあたったということです。
 徳川家が静岡に移住するのに従い地方奉行などに就いたものの、廃藩置県後は要職を退き、隠棲して書を楽しんだということです。
 勝海舟の使者として、官軍・西郷隆盛に徳川慶喜恭順の意を伝える特命を成し遂げ、後の勝海舟と西郷隆盛の江戸会見、江戸城無血開城の交渉に貢献した山岡鉄舟は、高橋泥舟の義弟(妹婿)。
 高橋泥舟は、勝海舟、山岡鉄舟とともに「幕末の三舟」といわれています。

June 07, 2005

【やなかニュース】防災目的の空間確保と斜面緑地保全-谷中5丁目防災広場の基本構想案

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 7日- 谷中5丁目のセブンラックス跡地・防災広場の基本構想案が発表されました。まちづくり通信第9号の特集として掲載されています。この基本構想案の説明と意見交換会が16日(木)午後7時30分から、谷中コミュニティセンター1階大広場で開かれるほか、6月ハガキによる意見や要望の募集もしています。
 基本構想は、区民が憩う、防災活動拠点になる、環境にやさしいという3つのコンセプトをもつ広場としているということです。
 機能として、①一時的な避難場所の確保、②道路拡幅、耐震型防火水槽の設置など消防活動困難区域の解消、③避難経路の確保、④非常用照明灯など避難場所の安全確保、⑤深井戸など飲料水の確保、⑥防災トイレ用マンホールなど避難生活者の生活支援の確保、⑦災害復興のための用地としての活用、⑧備蓄庫など食料、生活必需品等の確保、初動体制の強化の以上8項目を挙げています。
 この構想は、2年前から地域代表者などによる検討委員会での議論やアンケートなどをもとにまとめられました。今後は、今年度中に検討委員会と作業部会によって基本・実施設計がつくられ、来年度に工事着工と地域の自主管理組織の立ち上げが検討される予定だということです。
 また、現在、防災広場は暫定的に利用することができます。利用できるのは、目的が地域のコミュニティ活動か、防災活動で、10人以上の団体。原則として、月曜日から土曜日までの午前9時から午後5時までの間で利用できます。
 基本構想案や16日の意見交換会、暫定利用についてのお問合せ先は、台東区都市づくり部地区整備課です。電話03-5246-1365(直通)です。
※基本構想案をクリックすると拡大されます。

June 06, 2005

【やなか住ネコ17】門番見習いの黒茶ブチ-谷中7丁目

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 6日-何度も登場する黒茶ブチ。玄関の軒の上で香箱を作っていました。ネコは物音も立てませんから、気づかなければそれまで。人間の足音に慌てて逃げ去るネコと、路傍の石や門柱、電信柱にでも化けた気になり、人と視線が合わなければ、佇んでやり過ごすネコと2種類いるような気がします。

June 05, 2005

【やなか百景68】七面坂

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 5日-七面坂は、大きく右にカーブしながら下る坂道で、JR日暮里駅から谷中銀座への道です。この七面坂と平行して、階段のある道「夕やけだんだん」があります。
 台東区教育委員会の説明板によりますと、1772年(明和9年)刊行の「再校江戸砂子」に「宗林寺前より七面へゆく坂」とあるように、300年以上前からあった道で、宗林寺は、現在も坂下にある寺。また、1826年(文政9年)の「御府内備考」によれば、幅2間(約3.6メートル)・長さ50間(約90メートル)・高さ2丈(約6メートル)ほどだったということです。
 現在、この坂は行政境となっていて、坂を下る場合、右が荒川区西日暮里3丁目、左が台東区谷中5丁目となります。そのため、両区による坂の説明板が、道路を挟んで10メートルと離れず道路脇に立てられています。それらによると、坂名の由来は、坂上の北側にある日蓮宗延命院(荒川区西日暮里3-10)の七面堂を指しているということです。七面堂は、甲斐国(山梨県)の身延山久遠寺の西にある七面山から招いた日蓮宗の守護神・七面天女(七面大明神)を祀っているお堂で、延命院では通常、毎月19日にご開帳しているそうです。

【やなか界隈13】ベルリンの至宝展-東京国立博物館で12日まで

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 5日-東京国立博物館・平成館=写真左世界遺産・博物館島「ベルリンの至宝展-よみがえる美の聖域」が12日までの会期で催されています。紀元前10~8世紀頃に祭司が被っていたとみられているドイツ南部から出土した高さ50センチ以上の黄金のとんがり帽をはじめ、エジプト美術、古代西アジア、ギリシャ・ローマ、イスラム、ビザンチン、ヨーロッパ近代の美術など、164点が展示されています。
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 これは、ミュージアムショップで売られていたマグネットです。このネコの像は、ネコの棺で、エジプトの第27王朝(末期王朝時代)・紀元前500年頃のものとみられ、テル・バスタ(ブバステゥス)から出土されたらしいということです。
 説明によると、このブバステゥス(Bubastis)は、喜びと母性の女神バステト(Bastet)の聖地で、ネコは聖獣として神殿で飼われ、死後、ネコの墓地に埋葬されたということです。

June 03, 2005

【やなか住ネコ16】もう一匹、看板ネコ-谷中7丁目

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 3日-谷中7丁目でもう一匹の店番ネコを見ました。飲食店がアーケードの左右に並ぶ路地・初音小路にある都せんべい(谷中7-18-3)の店番をしていた看板ネコです。写真のモデルは気乗りしないといったそぶりでしたが、ごませんべい、にんにくせんべいなど、せんべいを買ったら、足下に寄ってきました。

June 02, 2005

【やなか住ネコ15】美容室の看板ネコ-谷中7丁目

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 2日-美容室の看板三毛ネコ。窓越しに通行人を眺めているのをよく見かけます。気候もよくなり、今日は窓があいていましたが、同じ窓辺に陣取って、呼び込み?をしていました。

June 01, 2005

【やなか百景67】日暮里小学校の跡地-諏訪台ひろば館辺

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 1日-諏訪台ひろば館(荒川区西日暮里3-3-12)の辺りは、かつて寺小屋があり、日暮里小学校があったそうです。1880年(明治13年)5月に、谷中天王寺門前の瑞輪寺境内にあった寺小屋が、この諏訪台ひろば館の辺り(日暮里6番地)に分離移転しました。
 その後、公立小学校をつくってほしいと、日暮里村、谷中本村、谷中村の3村が、東京府知事に請願し、1885年(明治18年)に認可され、公立日暮里小学校が誕生しました。
 荒川区教育委員会によりますと、開校当時、児童は36人、教員2人の1学級で、校舎は焼く50平方メートルの茅葺一棟だったということです。
 1913年(大正2年)、校名を第一日暮里尋常高等小学校と改称。1936年(昭和11年)11月、日暮里9丁目1080番地のかつては青雲寺だった場所に新築移転。1947年(昭和22年)、荒川区立第一日暮里小学校に改称、今年2005年は創立120周年を迎えます。

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