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May 31, 2005

【やなか百景66】銅造・釈迦如来坐像-谷中の天王寺

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 31日-銅造・釈迦如来坐像が、天王寺(台東区谷中7-14-8)にあります。台東区有形文化財に指定されています。1908年(明治41年)刊「新撰東京名所図会」に、「唐銅丈六釈迦」とあり、東京の名所の一つとして「天王寺の大仏」は親しまれていたことがわかります。
 丈六仏とは、一丈六尺の高さにつくる仏像のことをいい、坐像の場合はその半分、八尺で造られたそうです。
 また、1690年(元禄3年)の頃の「武江(ぶこう)年表」に「5月、谷中感応寺丈六仏建立、願主未詳」とあり、像背面の銘文にも、制作年代は元禄3年、鋳工は神田鍋町に住む太田久右衛門と刻まれているそうです。
 この銘文の中に、「日遼(にちりょう)」の名があり、これは日蓮宗感応寺第15世住持のことで、感応寺が天台宗に改宗して天王寺と寺名を変える直前の、日蓮宗最後の住持の名だということです。
 丈六仏の基壇の背面にある銘文によれば、この坐像ははじめ、五重塔跡北方西側の道路付近の旧本堂右側に建てられていたが、1874年(明治7年)の公営谷中墓地開設のために、墓地西隅に置かれることになった。その後、1933年(昭和8年)6月、修理をした後、現在の場所に鉄筋コンクリート製の基壇を新築してその上に移されたということです。さらに1938年(昭和13年)、基壇に納骨堂を置き、現在に至っています。

May 30, 2005

【やなか百景65】眺望絶佳の諏訪台

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 諏方神社(荒川区西日暮里3-4-8)の境内からの眺めです。高台となっていて、諏訪台と呼ばれています。諏訪台は、縄文・弥生時代から人々が生活をしていた場所で、江戸時代は四季折々の景色が楽しめる景勝地として賑わったそうです。荒川区教育委員会の説明板によりますと、浮世絵師・安藤広重(1797-1858)の「名所江戸百景」の中にも諏訪台お春景色が描かれているそうです。
※写真右=JR西日暮里駅が眼下に

May 29, 2005

【やなか百景64】地蔵坂

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 29日-この坂は、諏方神社(荒川区西日暮里3-4-8)からJR西日暮里駅の西脇へ左に折れて下る坂です。
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 坂名の由来は、諏方神社の別当寺だった浄光寺に、江戸六地蔵の3番目として知られる地蔵尊=写真下が安置されていることにちなむといわれています。

May 28, 2005

【やなか百景63】将軍腰掛石と福神漬け発明者の碑-浄光寺②

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 28日-眺望に優れた諏訪台という台地にあり、特に雪景色がすばらしいと「雪見寺」とも呼ばれた浄光寺は、江戸東部六地蔵の3番目として知られる地蔵尊のほか、境内に、「将軍腰掛石」と福神漬け発明者の表彰碑があります。
 荒川区教育委員会の説明文によると1737年(元文2年)に、8代将軍吉宗が鷹狩の際にお成りになり、1740年以降に御善所(鷹狩や旅の宿)となったということです。ただ、腰かけの石の脇には「三代将軍御腰掛石」となっており、説明と碑に時代のずれがあるようで、浄光寺の方に聞いても「時代についても、石になぜ穴があいているのかもよくわからない」ということでした。
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 もう一つ、福神漬け発明者を表彰する碑があります。表には「福神漬発明者 野田清右衛門、表彰碑、従三位勲一等 村田保書」とあり、裏は「明治四拾四年拾貮月建立、永代維持料金壹百圓添納」とあり、その下に設立者の名前が並んでいます。
 この野田清右衛門は、上野にある食料製造・販売店「酒悦」(台東区上野2-7-11)の15代(創業1675年)で、明治初め頃に、大根・ナス・カブ・なた豆・シソ・ウリ・レンコンの7種の野菜を細かく刻み、醤油と砂糖、ミリンなどで作った調味液につけた漬物を発明。店が不忍池の弁天に近いところから、谷中七福神に因み「福神漬け」と名付けられたのだそうです。この福神漬けのほか、野田清右衛門は、海苔の佃煮もつくったそうです。
 福神漬けというと、カレーライスに添えられるのが定番の漬物ですが、ハウス食品のホームページによりますと、大正時代に日本郵船が欧州航路客船で、一等船客にカレーライスを出す際に添えたのが最初で、それが日本中に広まったということです。
 

May 26, 2005

【やなか百景62】江戸六地蔵と雪見寺-浄光寺①

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 26日-古くから風光明媚なところだった日暮里は、月見寺(本行寺)、花見寺(青雲寺・修性院)として知られている寺があります。加えて、眺望がすばらしく、特にここからの雪景色がすばらしいと雪見寺として知られている寺があります。それは、浄光寺(荒川区西日暮里3-4-3)で、真言宗豊山派の寺院です。法輪山法幢院と呼ばれ、江戸時代までは諏方神社の別当寺だったそうです。
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 江戸最初の東都六地蔵の3番目の地蔵菩薩(荒川区指定文化財)があります。銅でできた約3メートルの立像で、空無(くうむ)上人の教えによって、江戸東部6ヵ所に6つの地蔵が置かれたということです。かつては門の傍らの地蔵堂に安置されていたため、門前は「地蔵前」とも呼ばれるのだそうです。
 六地蔵は、墓地の入り口、村の入り口など境界に立てる六体の地蔵のことで、地獄道、飢餓道、畜生道、阿修羅道、人間道、天道の6つの道で苦難を救うとされています。
 

May 25, 2005

【やなか界隈12】つくばエクスプレス、開業まであと91日

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 25日-谷中ではないのですが、地下鉄「元浅草」駅の入り口付近につくばエクスプレス開業のポスターを見つけました。秋葉原とつくばとの間の1都3県を通り、最速45分でつなぐそうです。鉄道が通過する自治体と民間企業など204団体で構成された首都圏新都市鉄道株式会社が事業主体となっています。58.3キロ間に20の駅があります。駅は、1.秋葉原、2.新御徒町、3.浅草、4.南千住、5.北千住、6.青井、7.六町、8.八潮、9.三郷中央、10.南流山、11.流山セントラルパーク、12.流山おおたかの森、13.柏の葉キャンパス、14.柏たなか、15.守谷、16.みらい平、17.みどりの、18.万博記念公園、19.研究学園、20.つくば。
 運賃は、初乗り160円で、秋葉原駅からつくば駅まで片道1150円です。
 詳しくは、こちら

May 24, 2005

【やなか住ネコ14】黒茶おすましさん-谷中7丁目

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 24日-この黒茶ブチネコは、いわゆる鈴をつけた外ネコで食料御用達のお宅があります。我が家にも近いので、チャリチャリと鈴音がすると、「あ、黒茶ブチかしら」と思ったりします。しかし結構、鈴をつけた外ネコは多く、谷中では犬も鈴をつけて路地を通りますので、本当のところはどうなのでしょう?

May 23, 2005

【やなか百景61】24日に清正公大祭-谷中赤門寺・蓮花寺

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 23日-谷中赤門寺とも知られるという蓮華寺(谷中4-3-1)で24日、清正公大祭が行われます。
 蓮華寺の境内に建てられた説明板によりますと、下総中山日蓮宗大本山法華経寺の第19世寂静院日賢聖人が一人静かに念仏を唱えるための隠室として約370年前に造られたのが始まりで、第3世常在院日在聖人によって、1631年(寛永7年)2月、現在の場所に、創建されたということです。
 山号は、寂静山。寺号は蓮華寺といい、古くから赤門寺として、また、六三除(九星をもとにした病気平癒の祈祷術)・虫封じの寺としても知られているのだそうです。
 御堂には、清正公大神祇(せいしょうこうだいじんぎ)、毘沙門天王、鬼形鬼子母神の3神を安置しているそうです。清正公大神祇とは、戦国時代の武将・加藤清正の没後、清正を神仏の化身とする伝承が生まれ、清正公大神祇と信仰する清正公(せいしょうこう)信仰が盛んとなったのだそうです。
 蓮華寺の赤門は、明暦、元禄、上野戦争などの災害を免れたものだそうで、現在の本堂等は、江戸文政年(1818~1829)頃、大檀越勘定奉行・細田丹波守が寄進して建てられたとされます。
 また浮世絵の細田時富(鳥文斎栄之)(1756~1829) 、新内中興の祖・富士松魯中の菩提寺でもあるそうです。
 さて、清正公大祭の24日は、午前10時からと午後2時からの2回、ご祈祷が行われるということです。

May 22, 2005

【やなかSNAP】谷中コミュニティまつりが防災ふれあい広場などで

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 22日-谷中コミュニティまつりが、谷中コミュニティセンターとセンター前の防災ふれあい広場の一部を使って催されました。子ども囲碁大会の表彰式はじめカラオケなどフリーマーケット、パラシュートづくりのお遊びコーナー、焼きそばなど飲食出店も出て、地域の親子連れなどでにぎわいました。
 このセンターを運営している谷中コミュニティ委員会が主催するもので、今回で27回目。
 防災ふれあい広場は、スポーツセンター跡地を台東区が取得し、地域町会や住民代表による谷中地区防災ふれあい広場検討委員会によって整備方針が検討されています。

May 19, 2005

【やなか百景60】芋坂を下ると善性寺

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 19日-芋坂を下ると善性寺(荒川区東日暮里5-41-14)=写真に突き当たります。
 荒川区教育委員会による説明板によりますと、この善性寺は日蓮宗の寺で、1487年(長享元年)の開創といわれているそうです。1664年(寛文4年)に、6代将軍徳川家宣の生母・長昌院が葬られて以来、将軍家ゆかりの寺となりました。宝永年間(1704-1711)に、家宣の弟・松平清武がここに隠棲し、家宣のお成りがしばしばあったことから、門前の音無川にかけられた橋に将軍橋の名が付けられました。
 善性寺の向かい、芋坂下には1819年(文政2年)に開かれたという藤の木茶屋(今の羽二重団子)があります。
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 門前アプローチはよく見ると橋になっていて、左側に「将軍橋」=写真、右側に「明治三十九年十二月成」と書いてあります。

May 18, 2005

【やなかニュース速報】都公園審が「谷中霊園再生のあり方」を石原都知事に答申

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【やなかニュース速報】都公園審が「谷中霊園再生のあり方」を石原都知事に答申

 18日ー東京都公園審議会(田邊昇學会長)が都庁で開かれ、「谷中霊園再生のあり方について」を答申しました。同審議会は昨年12月、石原都知事からの諮問を受け、霊園専門部会を設けて審議。3月29日から4月11日までの2週間は、中間まとめに都民から意見募集を行いました。
 今回は前回の審議会での意見と都民意見とを受けて専門部会がまとめた答申案が審議されました。
 寄せられた都民意見(パブリックコメント)の総数は、49通。内訳は、メールが27通、ファクシミリ7通、手紙が15通だったと報告されました。
 専門部会の井手久登委員は「パブリックコメントは概ね、中間まとめに賛同いただけるものでした。変更点は、霊園の過去の検討経過を冒頭に追加したこと、再生の考え方をイメージで捉えられるよう霊園再生のための主な施設イメージを概念図に変更したこと、立体墓地を青山墓地のものと同様イメージと思われないよう、全体の景観にあわせたものにすることをイメージできるよう写真事例を増やしました。心がけたのは、表現を平易にしたこと、答申は単独で一人歩きする性格があるので、前の青山霊園の答申にあるものでも大切なことは再度記しました」と説明しました。
 答申案を受けて、委員からは「パブリックコメントの数を見て、手紙が15通、総数49通は、短い期間にも関わらず多かった」、「新しい緑の拠点ができることになるが、谷中霊園は現に、地域活性の役割をしている。再生は地域と一体となって進めてほしい」など意見が出されました。
 また、「あらかじめ地域でヒアリングをすると、後の公園管理の協力も得やすいなどがあるのでは。進め方も一考ありかな」との意見が出されましたが、一方で「周辺にはいろいろな団体があり、同じ目的というわけではない。集約のしかた、取り入れ方で、議論が必要になると思う。ある程度の協議会など共通のテーブルをつくる仕掛けをつくりながらやっていくことになるのではないか」との意見も出されました。
 意見募集期間が2週間と短かったという意見を受けて、事務局は「今後検討する」と答弁しました。

May 17, 2005

【やなか百景59】芋坂-谷中と根岸をつなぐ坂③

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 17日-JR鶯谷駅から日暮里駅までの一駅の間に、線路の左右を結ぶ坂道が4つあります。鶯谷駅から数えると、寛永寺坂、御隠殿坂、芋坂、紅葉坂。
 今回は芋坂。 坂を登れば谷中墓地=写真上右、陸橋「芋坂跨線橋」=写真上左を渡ると羽二重団子の店の横から善性寺前へ通じています。
 1882年(明治15年)頃、日本鉄道会社の東北線(現・JR)が開通して、坂道は分断されました。日本画家の伊藤晴雨(1882~1961)は「根岸八景」で、「芋坂の晩鐘」として、天王寺の五重塔を望む芋坂の、のどかなたたずまいを描いているとのことです。
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 坂名の由来は未詳。伝承によりますと、この付近で自然薯(山芋)が取れたことに因んでいるということです。正岡子規や夏目漱石、田山花袋の作品に、この芋坂の名が書かれているそうです。
 芋坂も団子も月のゆかりかな 子規
※羽二重団子店の店脇に正岡子規の句碑があります=写真下

May 16, 2005

【やなか百景58】御隠殿跡-台東区根岸2丁目

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 16日-御隠殿坂は、東叡山寛永寺住職輪王寺宮法親王が、寛永寺から別邸の御隠殿へ行くための坂道だと紹介しました。
 その御隠殿は、御隠殿坂と芋坂の間の一帯にあり、敷地は3500坪前後、入谷田圃が見晴らせ、老松の林に包まれた池をもつ優雅な庭園で、ここから眺める月は美しかったといわれているそうです=写真上
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 台東区の説明板によりますと、輪王寺宮一品法親王(りんのうじのみやいっぽんほうしんのう)は、天台宗の首長である天台座主(ざす)に就き、比叡山・日光山・東叡山の各山主でもあったことから「三山管領宮(さんざんかんりょうのみや)」とも呼ばれ、第3世から幕末の第15世まで、親王あるいは天皇の猶子(ゆうし)いわゆる養子を迎え継承されてきました。
 その輪王寺宮は、1年のうち9ヵ月は上野に住んでいました。その間は、寛永寺の本坊(現・東京国立博物館内)で公務に就き、御隠殿は休息の場として利用したそうです。
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 御隠殿が造られた年代は明らかではないようですが、幕府編纂の絵図「御府内沿革図書」に、1753年(宝暦3年)7月に「百姓地4反1畝」を買い上げて、「御隠殿前芝地」としたと書かれているので、1753年までには造られていたようだとあります。しかし、1868年(慶応4年)5月、彰義隊の戦いで御隠殿は焼失しました。
 台東区根岸2-19-10にある薬師寺=写真中の一画に御隠殿跡という石碑=写真下があります。
※写真はクリックすると拡大されます。写真上=御隠殿敷地のスケッチ画。左端の道(No.22)が御隠殿坂、右端の道(No.2)が芋坂と説明されています。

May 15, 2005

【やなか百景57】御隠殿坂-谷中と根岸をつなぐ坂②

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 15日-JR鶯谷駅から日暮里駅までの一駅の間に、線路の左右を結ぶ坂道が4つあります。鶯谷駅から数えると、寛永寺坂、御隠殿坂、芋坂、紅葉坂。
 御隠殿は、東叡山寛永寺住職の輪王寺宮法親王の別邸。江戸時代、寛永寺から別邸へ行くために造られたそうです。1908年(明治41年)刊「新撰東京名所図会」に「御隠殿坂は谷中墓地に沿ひ鉄道線路を経て御隠殿跡に下る坂路をいふ。もと上野より御隠殿への通路なりしを以てなり。」と書かれており、この鉄道線路を経てとは、踏切を通ってという意味です。現在は陸橋となっています。
 

May 14, 2005

【やなか界隈11】元三島神社の例大祭

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 14日-JR鶯谷駅近くの元三島神社(台東区根岸1-17-11)の例大祭が14、15日行われます。14日午後6時頃、神社周辺に露店が出されて賑わい、また、大神輿が出されて、氏子町内を練り回りました=写真。ただし、今年は3年に一度の大祭の年ではないので、すべての神輿は出ず、数町会合同での神輿渡御なのだそうです。
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 明日15日は、小神輿・山車町内渡御(午前10時~)、大神輿町内渡御(午後1時~)が予定されています。
 ところで、元三島神社の祭神は、大山積命(おおやまづみのみこと)と伊弉諾尊(いざなぎのみこと)で、愛媛県の大三島にある「大山積神社(おおやまつみじんじゃ)」を上野山中に祀ったのが始まりだそうです。例大祭は、勧請の時にちなんで5月14日、15日に行われています。
 また、この元三島神社は下谷7福神の寿老人の祀られている寺としても知られています。

May 13, 2005

【やなか百景56】下村観山の墓-安立寺

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 安立寺(台東区谷中5-3-17)=写真上に日本画家・下村観山(1873年4月10日-1930年5月10日)の墓=写真下があります。
 本名は、下村晴三郎。紀州徳川家お抱えの能楽師の子として和歌山に生まれました。8歳で東京に転居。藤島常興、狩野芳崖、橋本雅邦に師事しました。東京美術学校(現:東京藝術大学)に第1期生として入学。卒業後、同校助教授となりました。
1898年(明治31年)、東京美術学校校長だった岡倉天心の辞職を受けて辞職し、横山大観、菱田春草とともに日本画の革新を目指し、日本美術院の創立に参加しました。その後、日本美術院の正員のまま東京美術学校教授に復職しました。
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 文部省留学生としてヨーロッパに渡航し、1905年(明治38年)帰国当時、日本美術院が不振で、岡倉天心がその絵画部を茨城県の五浦に移したので、観山も横山大観らと転居しましたが、明治45年(1912年)には五浦を引き上げ、横浜に新居を構えました。
 代表作は、1907年(明治40年)第一回文展に出展した「木(こ)の間の秋」(東京国立近代美術館所蔵)「弱法師(よろぼし)」(東京国立博物館)など。

May 12, 2005

【やなかの自然16】ホウチャクソウ-谷中霊園

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 12-谷中霊園のなかに、ホウチャクソウ=写真上・9日撮影の自然植生地があることを教えてもらいました。ホウチャクソウは、宝鐸草と書き、日本全国、朝鮮・中国に分布する多年草。林の縁や谷沿いなど森林に生育し、茎が枝分かれしてその先端に2つ白い釣鐘状の花をつける点が特徴の1つだそうです。地下茎で増え、果実は球状で緑から黒く熟すということです。宝鐸とは、寺院の堂や塔の四隅の軒などにつるす大きな鈴のことだそうです。谷中霊園の植生の豊かさがわかります。
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 ホウチャクソウとよく似ている植物に、ナルコユリ(鳴子百合)=写真下・10日谷中7丁目で撮影が挙げられます。ナルコユリは、先端だけでなく、葉の脇から花軸が出て、複数の花をつけます。その花の並んだ姿が、稲穂に集まるスズメなどを追い払うために、縄に板や竹を吊り下げて、揺らして音を出す農具「鳴子」に似ていることから名づけられたそうです。多年草。薬用植物で、ナルコユリ根は滋養強壮やリューマチ、痛風の生薬「横精(おうせい)」になるのだそうです。

May 11, 2005

【やなかの自然15】サクランボがタワワに-谷中7丁目

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 11日-小鳥のさえずりが賑やかな木。サクランボがタワワに生っていました。セイヨウミザクラ(西洋実桜)だそうです。食べ頃かどうかは、小鳥がついばんでいるかどうかでわかるのだそうです。見にいくと、6、7羽が気配を感じて飛び立ちました。ちょっと失敬、道路に落ちている実を拾って口に入れてみると・・・甘さが口一杯に広がりました。

May 10, 2005

【やなか百景55】巨樹シイ-延命院

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 10日-谷中は、寺院が集まった地域です。花に釣られて境内に足を踏み入れると、思いもしなかった史蹟や巨樹に驚かされることがあります。宝珠山延命院(荒川区西日暮里3-10-1)も広いとはいえない本堂へのアプローチを進むと、大シイが目に飛び込んできました。
 このシイは、昭和5年5月に東京都天然記念物に指定され、説明板によりますと、1836年(天保7年)に描かれた「江戸名所図会」巻5の「日暮里惣図」でも描かれていて、当時から人々に親しまれた老樹だということがわかるとしています。かつては、幹周り5.5メートル(平成9年調べ)でしたが、2002年(平成14年)5月に幹内部が腐って南側の大枝が崩落し、現在の樹形となったそうです。
 

【やなか百景54】延命院のツツジが見頃

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 10日-JR日暮里駅から谷中銀座に向かう道沿いにある延命院(荒川区西日暮里3-10-1)。門へのアプローチの左右のツツジが見頃です。この延命院は日蓮宗の寺院で、号は宝珠山、開基は4代将軍徳川家綱の乳母・三沢局(みさわのつぼね)だそうです。家綱が生まれるときに安産を祈祷した慧照院(えしょういん)日長が、三沢局の寄進によって、山梨県にある身延山から七面大明神の分霊を招いて祀り、神社の中の寺(別当寺)として開きました。
 七面大明神は、慶安3年(1650年)に、法寿院日命が仏師・弥兵衛に作らせたことが胎内の銘文にかかれていたということです。秘仏とされ、七面堂に祀られ、毎月19日(※2)にご開帳されるということです。
 ※1.濃い青みがかったピンクのツツジは、花が落ち始めると積んでしまうそうです。
 ※2.今月19日はご開帳されません。 

【やなか住ネコ13】お墓の大将!? シロネコ-谷中霊園

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 9日-谷中霊園を歩いていると、ネコに出会います。これは、守りネコのように墓石の天辺に置物のように佇んでいたシロネコです。樹木の上に頭だけ出して、まるで見張りをしているように見えました。

【やなか百景53】寛永寺坂-谷中と根岸をつなぐ坂道①

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 9日-JR鶯谷駅から日暮里駅までの一駅の間に、線路の左右を結ぶ坂道が4つあります。鶯谷駅から数えると、寛永寺坂、御隠殿坂、芋坂、紅葉坂。JRの線路は地形を利用して作られていて、日暮里に向かって左側の谷中は崖上となります。崖上から発見された新坂貝塚、天王寺貝塚や樹木から約6000年前頃は、この崖が海岸線だったと考えられています。
 さて、寛永寺坂は現在、2車線道路の陸橋となっています。説明標識によりますと、大正年間(1912-25)発行の地図から、この坂は大正10年頃に新設されたようで、当初は鉄道線路を踏み切りで越えていたそうです。現在の、跨線橋架設は1928年(昭和3年)8月1日で、坂の名前から寛永寺橋と名付けられました。坂の名前は、坂の上が寛永寺の境内だったことにちなんでいます。

May 07, 2005

【やなかの自然14】「いじめないで」-谷中霊園でミツバチが営巣

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 7日-谷中霊園のさくら通り沿いにある樹木で、「セイヨウミツバチが巣作りをしているのでいじめないでほしい」という貼り紙を発見。ミツバチがヒノキの木の室に巣を作り、頻繁に出入りしています。戻ってきたミツバチの足には黄色や赤の花粉が見られました。
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 貼り紙は、谷中霊園・緑の仲間の会によるもので、「お願い」として、次のように書かれています。
 「ここに巣を作っているのは(営巣・えいそう)しているのは、セイヨウミツバチ(西洋蜜蜂)です。谷中霊園にも以前は多くの蜜蜂が営巣していました。しかし近年、非常に減ってきました。谷中霊園の自然環境にとって貴重な生きものの一員です。タバコの煙を吹きかけたり、巣やハチにいたずらをしないかぎり刺したりしません。皆さん、見守ってあげてください。
 ※もしも、蜜蜂が顔のまわりに飛んできたら、決して騒いだり、手で払いのけずに巣から離れてください」

 

May 06, 2005

【やなかの自然13】ジャスミンの花

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 6日-まちを散策していると甘い芳香が漂ってきます。羽衣ジャスミンの花も、よく見かけます。こちらは、谷中7丁目にある「茶房花へんろ」の壁沿いに2階まで伸びたもの。お見事。

【やなかの自然12】桐の花-谷中7丁目

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 6日-谷中を散策していると、今は駐車場スペースの一画に、大木を見かけることがあります。桜はいくつも見かけましたが、ここは桐の花です。会津では娘が生まれると桐の木を植えたそうですから、この木もそんな風習と関係があったのでしょうか。毎年咲く、紫の花は、通る人の目を楽しませています。

May 05, 2005

【やなか百景52】街角の手製吸殻入れ-団子坂下交差点

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 5日-団子坂下交差点で、手製の吸殻入れを見つけました。蓋をした灯油缶の蓋にタバコが入る大きさの穴が4つ。側面にはマジックで「タバコ吸いガラ入れ、町をきれいにしましょう」と書かれています。住む人の声が聞こえてくる気がします。

May 04, 2005

【やなか百景51】著名な鋳物師の銅鐘-長明寺

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 4日-長明寺(谷中5-10-10)の銅鐘は、江戸時代の著名な鋳物師(いもじ)・椎名伊予良寛(しいないよ・よしひろ)が作ったということです。台東区教育委員会の説明板によりますと、椎名家は椎名伊予吉次(よしつぐ)を初代とする江戸時代の初頭に多くの作例を遺した鋳物師の名家で、椎名伊予良寛は1681年(延宝9年)頃から1700年(元禄13年)頃にかけて活躍し、約26点の作品(銅鐘19点、銅燈籠2対4点、宝塔・水盤各1点)が残っているとしています。その中には、上野寛永寺にある将軍家墓所の一つで4代将軍・家綱の墓の宝塔もあります。
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 長明寺の銅鐘は、総高122.9センチ、口径75.1センチ。銘文によると、1682年(天和2年)10月16日、屋代安次(やしろやすつぐ)が、生前に自分自身の死後の冥福を祈る、いわゆる逆修供養のために寄進したものだそうです。撰文は下総国飯高(現、千葉県八日市場市)の日蓮宗談林所(仏教の学問所)として知られる飯高寺(はんこうじ)の僧性孝、書は長明寺四世住職日習。

May 02, 2005

【やなか百景50】延命地蔵尊-よみせ通り

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 2日-よみせ通りは、かつて藍染川だったところで、文京区と台東区の区境の通りです。この通り沿いの商店街のシンボルとなっているのが延命地蔵尊で、地蔵尊の祠に貼られた説明書きに次のようにあります。
 「-(前略)-今は信心篤い地元が地蔵尊の法要怠りなく、毎月の縁日の日(14日)にはお参りの方に生花とお供物(菓子)、甘酒等を無料にてお配りして喜ばれ、日増しに人も通って、通りの発展に寄与しています。何卒、下町人情温かみある通りをごひいきに」。
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 よみせ通りは、今では元気のよい呼び込みの声が響くことはありません。現代的な店舗と、軒先に商品を並べ、開け放した昔ながらの店舗が混在した通りとなっています。時とともに姿を変えていくまちなみですが、地蔵尊の祠の柱に、人情温かみを感じる貼り紙を発見=写真しました。

May 01, 2005

【やなか百景49】よみせ通り

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 1日-よみせ通りは、谷中銀座とT字の形で続いている商店街の通りです。商店街を歩いていると延命地蔵が祀られている祠に通りの歴史が書いてありました。
 駒込染井から上の不忍池まで流れていた藍染川が1922年(大正12年)に暗渠になり、幅8メートルの通りが完成すると、商店が整い買い物通りとなり、朝市が立ち、午後からは両側500メートルに渡って露店の夜店が並び、大道芸が口上おかしく、また、夜店からは元気な呼び声が競い合って飛び交い、誰ともなく「夜店通り」と広く呼ばれるようになったということです。
 空襲でこの活況も途絶えましたが、戦後は復興も早く、名物の店も復活して人通りも戻ってきたものの、同時に、車の乗り入れも激しくなり、渋滞し、一方通行に交通を規制しても改善が見られなかったので、買い物の歩行者の安全第一を考えて、夜店を中止し、イベントも中元と年末の売り出しのみとなったということです。

【やなかの自然11】クンシランが見事

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 路地や玄関でよくみかけるクンシラン(君子蘭)が花を咲かせています。よみせ通りの店先で見事に花を咲かせたクンシランを見つけました。クンシランは南アフリカ原産の常緑多年草です。

【やなかの自然10】藤-夕やけだんだん

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 1日-谷中では、フジの花が見頃です。家の軒先や壁、寺など甘い芳香を放ちながら、紫の房をいくつも下げています。谷中銀座へ続く階段「夕やけだんだん」(西日暮里3丁目)の上では、近くの木を支えに巻きついて成長したフジが見事に咲いています。

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