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March 28, 2005

【やなか百景38】時の鐘-寛永寺

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 28日-上野精養軒正面玄関に向かって左脇に見える鐘楼。これは、寛永寺の時の鐘=写真※クリックすると拡大されますです。

 現在もなお、鐘楼を守る人によって、朝夕6時と正午の3回、昔ながらの音色を響かせています。その音色は1996年6月、環境庁の残したい「日本の音風景100選」に選ばれました。

 台東区教育委員会の説明板によりますと、時を告げる時の鐘は、はじめ江戸城内で撞かれていましたが、1626年(寛永3年)に、日本橋石町3丁目に移され、市民に時を告げるようになったということです。元禄以降、江戸の町が拡大したことにともない、上野山内にも置かれるようになりました。

 上野の初代の鐘は、1666年(寛文6年)の鋳造。銘に「願主 柏木好古」とあったそうです。その後1787年(天明7年)、谷中感応寺(現・天王寺)で鋳直されたものが現存の鐘で、正面に「東叡山大銅鐘」、反対側に「天明七丁未歳八月」、下に「如来常住、無有変易、一切衆生、悉有仏性」と刻まれています。

 この時の鐘は、「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と芭蕉が詠んだことでも知られています。

 この句からもわかりますが、1750年(寛延3年)当時、上野寛永寺、浅草寺、本石町、芝切通し、市ケ谷八幡、赤坂円通寺(後に成満寺に移設)、目白不動尊、本所横堀、四谷天龍寺、下大崎村寿昌寺の10カ所に幕府が認めた時の鐘が置かれ、そのほか、目白新福寺、目黒祐天寺、巣鴨子育稲荷にも時の鐘が置かれていたそうです(浦井祥子著「江戸の時刻と時の鐘」から)。

 時の鐘職人は世襲制で、鍾撞人の権利がある株もあり、鍾撞人は鐘の音が聞こえる地域の住民から鐘撞料を徴収する権利を幕府から認められていたということです。

 また、鐘の突き方も「捨て鐘」を3回突いてから、間をあけて、時の数だけ鐘をついたのだそうです。

 さらに、江戸城から見て東北東にある寛永寺、北西の市ヶ谷八幡、南西の赤坂成満寺、南南西の芝切通しの順で、前の捨て鐘の音を聞いて撞き始めるよう申し渡し、街中の鐘が大きく遅れることのないようにしたのだそうです。

 今ほどではないにしろ、江戸時代から、庶民の生活はすでに時間に追われ、「あ、今日も何もできなかった・・・・」とつぶやいた人もいたかもしれませんね。

 

 

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