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March 31, 2005

【やなか百景39】路地の明かり-谷中5丁目

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 31日-谷中5丁目にある路地です。蛍光灯ではなく、ランプの明かりが、人気のない路地を暖かく照らしています。ここの路地はジグザグ道。通りから見ると、行き止まりなのか、通り抜けられるのかがわからないようになっています。街灯なのに、住宅の壁に付けられています。

March 30, 2005

【春夏秋冬】しだれ桜-本行寺

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 30日-本行寺(西日暮里3-1-3)のしだれ桜の花が咲き始めました=写真。2分咲きというところです。
 本行寺は、観月の地として知られ、月見寺とも呼ばれました。太田道灌が斥候台を築いた道灌物見塚跡(道灌丘碑)や小林一茶の句碑、種田山頭火の句碑があります。

March 28, 2005

【やなか百景38】時の鐘-寛永寺

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 28日-上野精養軒正面玄関に向かって左脇に見える鐘楼。これは、寛永寺の時の鐘=写真※クリックすると拡大されますです。
 現在もなお、鐘楼を守る人によって、朝夕6時と正午の3回、昔ながらの音色を響かせています。その音色は1996年6月、環境庁の残したい「日本の音風景100選」に選ばれました。
 台東区教育委員会の説明板によりますと、時を告げる時の鐘は、はじめ江戸城内で撞かれていましたが、1626年(寛永3年)に、日本橋石町3丁目に移され、市民に時を告げるようになったということです。元禄以降、江戸の町が拡大したことにともない、上野山内にも置かれるようになりました。
 上野の初代の鐘は、1666年(寛文6年)の鋳造。銘に「願主 柏木好古」とあったそうです。その後1787年(天明7年)、谷中感応寺(現・天王寺)で鋳直されたものが現存の鐘で、正面に「東叡山大銅鐘」、反対側に「天明七丁未歳八月」、下に「如来常住、無有変易、一切衆生、悉有仏性」と刻まれています。
 この時の鐘は、「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と芭蕉が詠んだことでも知られています。
 この句からもわかりますが、1750年(寛延3年)当時、上野寛永寺、浅草寺、本石町、芝切通し、市ケ谷八幡、赤坂円通寺(後に成満寺に移設)、目白不動尊、本所横堀、四谷天龍寺、下大崎村寿昌寺の10カ所に幕府が認めた時の鐘が置かれ、そのほか、目白新福寺、目黒祐天寺、巣鴨子育稲荷にも時の鐘が置かれていたそうです(浦井祥子著「江戸の時刻と時の鐘」から)。
 時の鐘職人は世襲制で、鍾撞人の権利がある株もあり、鍾撞人は鐘の音が聞こえる地域の住民から鐘撞料を徴収する権利を幕府から認められていたということです。
 また、鐘の突き方も「捨て鐘」を3回突いてから、間をあけて、時の数だけ鐘をついたのだそうです。
 さらに、江戸城から見て東北東にある寛永寺、北西の市ヶ谷八幡、南西の赤坂成満寺、南南西の芝切通しの順で、前の捨て鐘の音を聞いて撞き始めるよう申し渡し、街中の鐘が大きく遅れることのないようにしたのだそうです。
 今ほどではないにしろ、江戸時代から、庶民の生活はすでに時間に追われ、「あ、今日も何もできなかった・・・・」とつぶやいた人もいたかもしれませんね。
 

 

March 27, 2005

【やなか桜並木】26日-つぼみ

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 谷中霊園の桜並木は、まだつぼみです。が、花見の宴は始まりつつあるようで、26日はブルーのシートの上で円座を組み、持参の桜を楽しんでいる人たちも。開花が待ち遠しいです。

【やなかSNAP】まちに暮らした芸術家と旧町名由来をたずねて散策会

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 27日-NPO法人・たいとう歴史都市研究会は26日、「谷中上野桜木、旧町名由来とまちに暮らした芸術家たち-でんちゅうさん、てんしんさんをたずねて」を催し、約50人が参加しました。
 木彫家・平櫛田中(ひらぐし・でんちゅう1872~1979)の孫で、小平市平櫛田中記念館顧問の平櫛弘子さんを迎えて、上野桜木にある平櫛田中邸を訪ね、祖父の思い出や生活していた当時の上野桜木の生活などを聞いたほか、谷中町(やなかまち)、谷中茶屋町(やなかちゃやまち)、谷中南町(やなかみなみまち)、谷中真島町(やなかまじまちょう)、谷中三崎町(やなかさんさきちょう)、谷中初音町(やなかはつねちょう)4丁目と、旧町名を散策しました。
 旧平櫛田中邸では北側に広く窓を取ったアトリエや家族が生活していた住居を見学。アトリエ付き住宅の萌芽期のもので、時間により光の強弱がないように北側に広く窓を取った作りになっていること。このアトリエは、作品「転生」を作るために建築されたこと。アトリエの隣は作品を搬出しやすいように作られていること。玄関先には、当時、材料の木材が積み上げられていたこと。読書家の田中は、書籍を収納するために、アトリエの南と西側に天井までの本棚を作ったこと。早寝早起きの生活をしていたことなどが紹介されました。
 この家で、平櫛田中は1919年(大正8年)~1970年(昭和45年)まで制作活動を続けていたということです。
 参加者から、「この家は今度どのようにしたいと思っていますか」という質問が出され、平櫛弘子さんは、「死後、生誕の地・岡山県井原市に寄贈されました。私としては、一部を記念館とし、田中の書籍を保存していますので、好きだった本をここに入れて、一部を閲覧できる場所にできたらと願っています。ただ、土地の地形が、袋小路であることなど、問題もあるようで話は進んでいません。建物も傷んできていますので、猶予はないと感じています。田中が長年住んでいた場所なので、みなさんのお力をお借りして、記念館ができれば」と話しました。

March 26, 2005

【春夏秋冬】ハクモクレン-寛永寺幼稚園の園庭

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 26日-「春が来たー」そんな気持ちになる指標は、誰もが持っているもの。寛永寺幼稚園(上野桜木1-14-11)の園庭のハクモクレンが、鮮やかな白い花を一斉にほころばせています。ハクモクレンは、中国原産で、原産地では15メートルほどの高木ということです。コブシ、タイサンボク、ユリノキと同じモクレン科の仲間で、花の直径が大きく、芳香を放つものが多いそうです。寒い冬を耐えて、春先に美しく花を開かせるさまから、「気高い、健気」というイメージをもたれているようです。

March 25, 2005

【やなかSNAP】護国院の木造大黒天立像が台東区文化財に

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 24日-護国院の木造大黒天立像=写真が、台東区の文化財として台帳に登載されたことがわかりました。台東区教育委員会が3月1日、台東区区民文化台帳に新たに6件を搭載したものの一つで、台帳に搭載された文化財はこれで146件となりました。
 この木造大黒天立像は、谷中七福神のひとつです。
 平成16年度の台東区区民文化財台帳に搭載された文化財は、次の通りです。
 【彫刻】木造大黒天立像 一躯(護国院・上野公園10-18)
 【絵画】刺繍涅槃図(ししゅうねはんず) 一幅(安楽寺・根岸4-1-3)
 【考古資料】天王子五重塔跡出土の舎利容器および経筒 一括(天王寺・谷中7-14-8)
 【考古資料】東京国立博物館構内出土の白楽釉獅子香炉(しろらくゆうししこうろ) 一点(東京国立博物館・上野公園13-9)
 【歴史資料】一石五輪塔 一基(西福寺・蔵前4-16-16)
 【台東区指定生活文化財】金太郎飴作りの渡邊鐵男(わたなべ・てつお)さん (金太郎飴本店・根岸5-16-12)
 ※写真をクリックすると拡大されます。

March 23, 2005

【やなか界隈04】お化け燈籠-上野公園

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 23日-この燈籠(とうろう)は、高さ6.06メートル、笠石の周囲3.63メートル=写真、3月21日撮影。「お化け燈籠」と呼ばれ、京都南禅寺、名古屋熱田神宮の大燈籠とともに日本三大燈籠に数えられています。
 台東区教育委員会の史跡説明板によりますと、佐久間大膳勝之(だいぜんかつゆき)が東照宮に寄進した石造りの燈籠で、
「奉寄進佐久間大膳亮平朝臣勝之
 東照大権現御宝前石燈籠
    寛永八年辛未孟冬十七日」
と刻字されています。
 1631年(寛永八年)当時、東照宮は創建してまもなく、社頭には、大鳥居、銅燈籠、石燈籠などは、まだわずかしか奉納されていなかったため、勝之は他に先駆けて、この燈籠を寄進したとされています。
 この佐久間大膳勝之は、織田信長の武将・佐久間盛次の四男。母は柴田勝家の姉。信長、北条氏政、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、信濃国川中島ほか1万8千国を領したということです。

March 22, 2005

【やなか桜並木01】谷中霊園の桜並木開花情報

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 22日-つぼみです。

【やなか界隈03】小宮園長の案内で親子が見学-上野動物園

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 22日-日本初の動物園として1882年(明治15年)3月20日に開園した恩賜上野動物園が、今年で123年目を迎え、この春休みに様々なイベントを催しています。22日午前11時、小宮輝之園長を案内役に親子約20人が小獣館を見学した。
 ゆで卵をラグビーのように、股の下から背後の壁に卵を投げて殻を割るコビトマングースの習性を見たり、逆さで寝ているコウモリと、暗闇で飛ぶコウモリ、ハダカデバネズミの赤ちゃんなどを見学しました。最後に、作業場にも入れてもらい、見学者は背中に3本の線のあるミツオビアルマジロを順番に抱かせてもらいました=写真
 この小宮園長の案内による見学会は、3月29日(火)・4月4日(月)午後2時からも行われます(集合場所:西園 小獣館前、各日先着30人まで、所要時間:約1時間)。
 恩寵上野動物園のホームページは、http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/zoo/ueno/index.htmlです。

March 21, 2005

【やなかの自然05】桜咲く、並木はまだ-谷中霊園

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 21日-谷中霊園で、桜が咲きました=写真左。並木の桜はもうまもなく。
 上野公園では、ピンク色が濃いヒガンザクラが見頃です=写真右。また、公園の桜は谷中よりも一足先に咲き始めました。陽気によっては、今週末にも見頃となりそうです。

【やなか百景37】谷中霊園の茶屋

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 21日-連休の最終日。暖かな陽射しの日中、谷中は墓参の人出でにぎわいました。
 谷中霊園の入り口には茶屋があります。この時期は、線香、花、サカキ、桶と柄杓、箒と塵取り、線香を入れて運ぶための空き缶などが店の前に置かれています。店で掃除も請け負うようで、自転車に掃除用具一式とをくくりつけて霊園と茶屋を忙しげに往復する姿を見かけました。

March 20, 2005

【やなか百景36】谷中霊園さくら通り

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 20日-これは、谷中霊園の目抜き通り「さくら通り」です。桜並木で、つぼみが膨らんできています。今日は、墓参りの人出があり、日中、抜け道のない諏訪道(朝倉彫塑館前の通り)などは渋滞をしていました。
 このさくら通り、桜の季節は、花見で昼も夜もにぎわうところです。

March 19, 2005

【やなか住ネコ08】夕やけだんだんと黒ネコ

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  19日ーお彼岸の谷中は、普段より車の数が多くなります。
  さて、日暮里駅北口から谷中方面に御殿坂を上り、さらに進んで今度は下り階段を下りると、商店街「谷中銀座」に着きます。その谷中銀座手前の階段は、「夕やけだんだん」と呼ばれています。見晴らしのよい坂で、その名の通り、この段上からは、赤く染まった夕空を望むことができます。これは一般公募で名付けられたもので、応募した名付け親は、地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の森まゆみさんでした。谷中界隈は、夕やけがきれいなところとして、江戸時代から有名だったそうで、「ひぐらしの里」と言われていたそうです。
  このダンダンの上に駐車場があり、夕方から夜にかけては、餌を与えている人の姿をよく目にします。この黒ネコはダンダンに住むネコの中の一匹。フェンスの外の狭いスペースに香箱を抱えるポーズ。「お〜い、危ないヨ!」。

March 18, 2005

【やなか百景35】昔せんべい-大黒屋(谷中1丁目)

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 18日-上野桜木から根津方面に善光寺坂(言問通り)を下りきった交差点手前右角から、醤油の香ばしいかおりが漂ってきます。昔せんべい「大黒屋」(谷中1-3-4)です。店頭のガラスケースの中には、せんべい。ケースの上には、店名にちなみ商売繁盛の「大黒天」が鎮座しています。
 店内は、炉を前に2人で向かい合ってせんべいを焼いている姿。いくつものせんべいを網に乗せ、軍手をはめた手で休みなく焦げないようにあぶり焼き。作業をしながら見られるように奥にはテレビ。せんべいを買おうと声をかけると、作業の手を休め、膝のネコを下ろして、応対に出てきてくれました。せんべいは5枚で630円。のりせんべい、ごませんべいなどもあります。せんべいは、薄目で歯ごたえがあり、醤油の味は甘くない。渋いお茶と一緒に食べたい味。備長炭で焼いているそうで、食べ応えがあります。
※写真をクリックすると拡大されます。

March 17, 2005

【やなか住ネコ07】谷中5丁目の茶トラ

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 17日-目をギュッと閉じて、「アウ、アウゥ」と甘えたカスレ声で鳴いていた谷中5丁目の茶トラ。かまってほしいのだろうと近寄ると、警戒してボートの船底のようなものが立てかけてある高台にヒョイと飛び乗り、再度「アウゥ」と一声。ネコ好きにすれば、逃げるふりして構ってほしのだと思い込み、人差し指を茶トラの鼻先に持っていく。鼻を近づけてくると思いきや、いきなり爪を立てて左手のジャブ。このネコ、人懐っこいのか、人間嫌いなのか。

March 16, 2005

【やなか百景34】梅-上聖寺(谷中1-5-3)

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 16日-上聖寺の梅は、見事にしだれた枝に花をつけ、芳香を漂わせています。ほのかな香に鼻を上に向けているのは、石の上のブロンズの蛙。上聖寺は、みかんの大木が毎年のようにたくさんの実をつけ、それは見事なのですが、梅花も可憐な姿で通行人の目を楽しませています。
 ところで、この上聖寺は、池波正太郎著「鬼平犯科帖」の「谷中・いろは茶屋」に登場します。
 これは鬼平こと火盗改め長谷川平蔵という長官の捕り物帖で、「谷中・いろは茶屋」では、盗人宿である数珠屋の「油屋」の道路を挟んだ向かいが、この上聖寺で、「油屋」に入った怪しい人物を見張るために、鬼の平蔵の部下で、火付盗賊改方の同心・木村忠吾が、上聖寺に協力を求めています。 
 さて、この物語では盗人宿「油屋」の場所ですが、なんの因果か?実際は、上野消防署谷中出張所(谷中1-1-25)です。

March 15, 2005

【やなか百景33】森田電機店-谷中1丁目

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 15日-台東区には、江戸時代から明治、大正、昭和初期までの都市建築の遺構が多く残されています。
 台東区が行った近代洋風建築調査の報告書をみると、谷中では、特に注目したい建物として、朝倉彫塑館と森田電機店が紹介されています。
 その報告書によりますと、森田電機店(谷中1-2-13)は、「木造2階建て、竣工年不詳、設計者不詳。言問通り沿い、文京区根津に近い商店街の一角に建つ商店。大正から昭和初期に建てられた銅板貼りの看板建築。とりわけ一階庇になっている唐破風が独特」ということです。
 この近代洋風建築の調査は、「町を散策し、より多くの近代建築と出会うことで、文化遺産を保存することの大切さを知り、町への愛着を深めてほしい」と台東区教育委員会が行ったものです。
 報告書の普及編「歴史を伝える近代のたてもの」(1999年3月発行)では、「台東区近代建築めぐり」と題して、12の地区に分けて、歴史、道や坂のストーリー、近代建築の分布傾向、注目すべき近代建築の特徴を解説し、その建物を結んだ12の散策コースが紹介されています。
 この調査を行った前野まさる・東京藝術大学名誉教授は「自分の町のよいところを知っていることは、地域住民にとって地域に誇りを持っていることの証であり、地域住民の町づくりのエネルギーとなるものだと思います」と書いています。
 

March 14, 2005

【やなかSNAP】「まちの魅力発見を学ぼう」と野田のNPOが谷中を見学

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 14日-「まちの文化や文化人を発掘したり、こどもたちに体験による環境学習の場をつくろう」と活動している千葉県野田市のNPO「野田文化広場」が12日、谷中を見学しました。案内したのは、谷中学校のメンバー。谷中学校は、「谷中界隈の生活文化を大切にし、まちの魅力を育てて未来に受け継ぎたい」と活動している団体です。
 まちに残る明治・大正・昭和初期の建物は、そこに住む人たちが地域に親しみや誇りを抱くための地域の記憶であり、貴重な記録ではないかと、谷中を巡りながら、意見交換をしました。
 「スカイ・ザ・バスハウス」=写真は、1993年にオープンした現代美術のギャラリーで、最先鋭の日本のアーティストを世界に向けて発信し、同時に、海外の作家を紹介しているところです。
 外観をみると、蔦の絡まった煙突があり、一見銭湯。それもそのはず、1786年創業という由緒ある銭湯「柏湯」だったところです。しかし、内部は現在、天井まで8メートルという一種の小宇宙で、企画によって、新たな空間に生まれ変わります。
 この約200年の歴史を持つ銭湯を、地域の記憶のシンボルとして残したいというオーナーや廃業を惜しむ人たちの思いは、株式会社白石コンテンポラリーアートによって、公衆浴場から新進気鋭の若手アーティストを育てる場として生まれ変わりながら、情報の発信・交換の場という意味で継承されたといえます。また、外観が保たれたことで地域の記憶は継承されたといえそうです。 谷中学校は、このオーナーの思いと、借り主とを結びつけるきっかけを作ったのだそうで、見学者たちは、様々な選択がある中で、敢えて銭湯の外観を残したオーナーや借主の英断に関心を示し、興味深げに聞き入っていました。

March 12, 2005

【やなか住ネコ06】深窓の令嬢-谷中5丁目

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 12日-梅ほころぶ春の陽だまり。窓から外界を見下ろす深窓の令嬢?を発見しました。谷中5丁目にある住宅2階の窓辺から見下ろすキジネコです。

March 11, 2005

【やなか百景32】区立岡倉天心記念公園-谷中5丁目

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 11日-岡倉天心(1862~1913)の像が置かれた六角堂のある区立岡倉天心記念公園(台東区谷中5-7)を道路から覗いたところです。細長く見えますが、L字型の土地で、中に入ると遊具もあります。入ったところに、「岡倉天心宅跡・日本美術院発祥の地」と書かれた石碑。
 東京都教育委員会によりますと、日本美術院は、1898年(明治31年)、岡倉天心が中心になって「本邦美術の特性に基づき、その維持開発を図る」ことを目的に創設された民間団体で、当初、院長は天心、主幹は橋本雅邦(1835-1908)、評議員に横山大観(1868-1958)、下村観山(1873-1930)などがいたということです。
 この場所に建てられた美術院は1898年9月に建てられた木造2階建てで、絵画研究室の南館と事務室・工芸研究室・書斎・集会室のある北館からなり、付属建物も2つ、3つあったそうです。
 1906年(明治39年)に美術院が茨城県五浦に移るまで、この地が活動拠点となっていました。
 岡倉天心に係る六角堂は3つあり、1つはここ谷中5丁目の区立岡倉天心記念公園内のもの、2つ目は五浦の太平洋に臨む岩壁の上に建てられた岡倉天心が設計した観瀾亭(かんらんてい)、3つ目は、屋根のみだが東京藝術大学内のもの。
 区立岡倉天心公園には、1966年(昭和41年)に建てられました。

March 10, 2005

【やなか百景31】岡倉天心像(平櫛田中作)-区立岡倉天心記念公園

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 10日-谷中5丁目の区立岡倉天心記念公園内にある六角堂の中の岡倉天心(1862年12月26日~1913年9月2日)の像です。ブロンズ像で、平櫛田中(1872-1979)作。岡倉天心は、本名を覚三(かくぞう)といい、近代日本美術界の功労者といわれています。
 日本美術の古来の伝統を保存しようと、アメリカ人教師フェノロサとともに東京美術学校開設に尽力しました。東京美術学校(今の東京藝術学校)は、1887年(明治20年)に創設され、岡倉天心は、1890年(明治23年)には校長に就任しています。しかし、伝統尊重派と欧化派との対立の末、東京美術学校長、帝室博物館理事兼美術部長を辞職。その後、岡倉天心は、日本美術院を創設しました。
 また、アメリカのボストンに一年間滞在し、英語で「東洋の思想」、「日本の覚醒」、「茶の本」を出版。日本文化の海外紹介に力を尽くしています。
 さて、この岡倉天心の服装ですが、古代文官の格好だそうで、東京美術学校教師の黒川真頼(まより)のデザインによるもので、当時の東京美術学校の制服だそうです。教師も学生も同じ制服で、ちょっと変わった格好なので、よく目に付いたそうです。岡倉天心は毎朝、根岸の自宅からこの制服姿をして、馬で学校に通ったといわれています。
 余談ですが、黒川真頼は、裁判官の正装もデザインした人だそうです。

March 09, 2005

【やなか番外編】「東京大空襲を語り継ぎ、平和への礎に」と寛永寺に慰霊碑、上野公園に塔

 9日-東京大空襲から60年を迎える10日を前に9日、2つのモニュメントの除幕式が台東区で行われました。一つは、寛永寺(上野桜木)に建てられた慰霊碑と、もう一つは、上野公園に建てられた「母子像・時忘れじの塔」です。いずれも「若い世代の人に東京大空襲を語り継ぎ、平和への礎にしたい」と、落語家・故林家三平さんの夫人でエッセイストの海老名香葉子さんが、寄金などを募り建立したということです。

詳しくは、次のサイトをご覧ください。
朝日新聞
毎日新聞
日刊スポーツ


【やなか百景30】みしま地蔵尊-谷中3丁目

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 9日-明日10日は、東京大空襲から60年を迎えます。下町地域中心に爆撃され、一般市民を巻き込んで一晩に10万人を超える死者を出すほどの戦災だったことが報道されています。
 谷中も10日に先立つこと6日、1945年(昭和20年)3月4日午前8時40分頃、小雪降る中、B29爆撃機から空襲を受け、死傷者約500人、全半壊家屋約200戸の被害が出たということです。
 台東区教育委員会の史跡説明板によりますと、このみしま地蔵尊は、1948年、当時の三崎町、初音町4丁目、真島町の有志が3町会の戦災死者70余人の霊を永久に供養しようと建立されました(谷中3-7-1。区立初音児童遊園地)。
 ちなみに、みしまは、「三崎町の三(み)、初音町4丁目の4(し)、真島町の真(ま)」の町名からそれぞれ一字をとったもので、三四真地蔵とされたということです。

March 08, 2005

【やなか百景29】掲示板で親子競演-海老名香葉子さんと林家こぶ平さん

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 8日-町会の各種案内や行政の広報のための掲示板で、海老名香葉子さんと林家こぶ平さん親子のポスターが並んで掲示されているところを見つけました。
 海老名香葉子さんの方は、「東京大空襲被災60周年平和のつどい」の案内で、10日(木)午後2時から浅草公会堂(台東区浅草1-38-6)で台東区の主催で催されます。入場無料、先着1000人まで。
 第1部では、東京大空襲で家族6人を亡くし戦災孤児となった海老名香葉子さんが「戦禍に残された一つの命」をテーマに講演。
 第2部は、海老名香葉子さんの体験をもとにしたアニメ映画「うしろの正面だあれ」の続編で、8月公開予定のアニメ映画「あした元気になあれ~半分のさつまいも~」のダイジェスト版の紹介と、この映画の監督・中田新一さんと海老名香葉子さんとの対談。さらに、海老名香葉子さんと谷村新司さんが平和を願い作詞、作曲した映画の主題歌「連花(れんか)」を林明日香さんが歌うということです。
 次に、林家こぶ平さんは、「九代林家正蔵襲名記念・林家こぶ平下町感謝の日」と題して、13日(日)に行われる「パレードとお練り」の進行予定と下町の皆様ありがとう!こぶ平、感謝! 感謝!! の落語会の招待案内。落語会の申し込みは締め切られましたが、「下町出身こぶ平の晴れ姿をぜひとも見てください」とパレードの予定が載せられています。
 午前10時30分に上野鈴本演芸場を出発し、JR上野駅(午前11時20分予定)-上野寛永寺(12時30分頃予定)-言問い通り(寛永寺橋)-雷門通り(午後1時30分頃予定)-浅草仲見世-伝法院通り-浅草演芸ホールに到着するということです。
 同行者は、林家木久蔵さん、春風亭小朝さん、笑福亭鶴瓶さん、 立川志の輔さん、林家いっ平さんなどが予定されています。

March 07, 2005

【やなか百景28】経王寺山門の銃痕

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 8日-大黒山経王寺(荒川区西日暮里3-2-6)の山門には、銃痕があります=写真。この銃痕は、1868年(慶応4年)の上野戦争の時に、敗走した彰義隊の士をかくまったため、新政府軍の攻撃を受けたことによるものだそうです。彰義隊は、政権を朝廷に返上したものの鳥羽・伏見の戦いが起きたことで、東叡山寛永寺に恭順謹慎した徳川第15代将軍・慶喜の名誉回復を目的に集まった志士たちで、彰義隊は「忠孝信義の義を彰し、義のために戦う」という意味なのだそうです。
 この経王寺の山門は、荒川区登録有形文化財に指定されています。
 経王寺は、日蓮宗で、1655年(明暦元年)、この地の豪農・冠(かんむり)勝平(のちの新堀村名主・冠権四郎は子孫)が要詮院(ようせんいん)日慶のために寺地を寄進し、お堂を建立したことに始まるとされています。
 山門を入って右手にある大黒堂には、日蓮上人の作と伝えられる大黒天が祀られています。

March 06, 2005

【やなか百景27】石敢當(いしがんとう)とネコ-谷中7丁目

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 6日-石敢當(いしがんとう)を見つけました。谷中7丁目界隈を根城にしている茶黒ブチのネコ。空き地に置かれたトラックのタイヤのにおいを嗅いだのち、人の気配を嫌って、道を横切り、空き地の植え込みに姿を隠して偵察。そのネコをしつこく追いかけたところ、縁石に石敢當(いしがんとう)と木彫りの札が貼られていることを見つけました。
 この道は、週に一度は通るほどの頻度で通っているにもかかわらず、ここ2年、気がつかなかったので、まさにネコに教えられたことになります。
 石敢當(石敢当・いしがんとう)は、インターネットで検索すると、沖縄独特の魔よけで、T字路や三叉路でよく見かけるそうです。
 谷中7丁目の石敢当もT字路のつきあたりに置かれています。谷中は霊園があり、寺町です。寺や墓地と共存していく日々の生活やまちに住む人たちの心の中に、目に見えないものに対する畏敬の気持ちが残り、受け継がれていることを感じました。
 ※石敢当の右奥に、茶黒ブチのネコがいるのですが・・・。

March 05, 2005

【やなか番外編】アラン・ウェストさん(谷中に住むアメリカ人屏風絵師)が、池袋で絵画展-5日・6日に金銀箔実演

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 5日-谷中に住むアメリカ人屏風絵師のアラン・ウエストさんが3日(木)から9日(水)まで、池袋東武6階美術画廊で絵画展を開いています。5日は、アランさんによる金銀箔の箔押し・切金・砂子などの実演が行われたためか、会場には報道関係者を含め、来場者が跡を絶たないほどの盛況ぶりでした。
 会場の中央で、取り巻いた見学者が息をひそめて見守る中、アランさんは、銀箔を竹で1ミリ以下の細い線状に切り分けたり、約5ミリの正方形に切り分けたりする切金を実演しました。
 また、アランさんは、作業の合間に、金・銀箔の扱いは普通は密室で行われること、風や湿気を嫌い桐箱に保管し、夏など扱えない季節があること、砂子という粉に加工する作業にはアランさんが工夫して作った道具を使っていることなど、質問にていねいに答えていました。
 展示されている30点を超える作品の中には、谷中の大円寺の菊やアメリカのポトマックの桜をモチーフにしたもの、「Blue Fall」と題した滝を思わせる作品などがあり、日本とアメリカそれぞれの美と雅を、どちらのよさも理解できるアランさんならではの表現力で現されていました。
 会場スタッフは「立っているときの視線ではなく、和室で座った時と同じように、斜め下から見ると、金箔、銀箔が輝き、趣も変わります」と説明していました。
 アラン・ウェストさんの金箔・銀箔の箔押し、切金、砂子などの実演は、明日6日も午後4時から6時まで予定されています。

アラン・ウェスト絵画展を開催
 日時:3月3日(木)~9日(水)午前10時~午後8時(※最終日は午後4時30分まで)
 会場:池袋 東武 本館6F 1番地・美術画廊

アラン・ウェストさん=谷中に住むアメリカ人屏風絵師。アメリカ・ワシントンDC出身。カーネギーメロン大学芸術学部絵画科卒業。東京芸術大学大学院修士課程日本画科、加山又造研究室修了。スミソニアン、醍醐寺をはじめ国内外で個展を開く。公共施設の壁画、ホテルやコンサートホールのロビーなどのパブリックアートも手がける。
 

 

March 04, 2005

【やなか百景26】春の雪-観音寺の築地塀

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 4日-3月の東京に積雪。谷中も深夜から雪が積もり始め、4日朝は、通勤・通学者の足を鈍らせました。観音寺(谷中5-8)の築地塀は、降りしきる雪の舞の背景として、いにしえの趣を醸し出していました。雪が降っていなくても、ここは映画の舞台になったり、和服情報雑誌などのロケに使われたりしているそうです。谷中の観光スポットの一つで、週末にはカメラを手にした人の姿もよく見かけます。瓦と瓦の間は、土が落ちないようにアスファルトで塗り固められています。どうやら風雨もさることながら、歴史を感じさせる塀に触ってみたいという人たちによる破損を防ぐことも必要なようです。

March 03, 2005

【やなか百景25】雛まつり-谷中5丁目のポスト

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 3日-雛まつり特別企画!ショーウインドウに飾られた雛人形です。このウィンドウの下の横長の穴は、手紙や葉書を入れるところです。場所は、全生庵に突き当たる路地に面した一画。この郵便受けは、「どうだ!」ではなく、「どうぞ」という雰囲気で、郵便集配の人は絶対気づくけど、路地に迷いこんだ人には目につきやすいような、見過ごしそうな、何とも微妙なしつらえ。この心遣いと粋なおもてなしは、谷中の魅力の一つだと思います。

March 01, 2005

【やなか百景24・春夏秋冬10】谷中七福神⑦弁才天

東叡山寛永寺弁天堂(台東区上野公園2-1)
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 1日-谷中七福神の弁才天は、上野不忍池の弁天堂に祀られています。
 この不忍池弁天堂は、琵琶湖竹生島弁才天に見立てて建てられたもので、これは徳川家の祈祷寺として建てられた東叡山寛永寺が、平安京御所の鬼門に建てられた延暦寺にならい、江戸城の鬼門に建てられたことによります。不忍池を琵琶湖に見立てて、常陸(現茨城県)下館城主の水谷(みずのや)勝隆が池に中島を築き、かつては竹生島のように、中島へは船でお参りをしたということです。寛文年間(1661-72)に石橋がかけられました。
 東叡山寛永寺が様々な点で別格なのは、寺領の広さもありますが、寺の名が東の比叡山ということで東叡山であり、延暦寺が延暦年間の創建で年号を取ったことから、寛永年間だから「寛永寺」としたことからも伺えます。
 また、住職にあたる門主(もんす)に皇族を迎えて、広く宗教界のトップに位置づけようと計画され、門主は将軍と同じ網代駕籠が使え、徳川御三家と同じ待遇を受けたということです。
 この弁天堂の本尊は、竹生島の宝厳寺の8本の腕をもつ八臂弁才天を招聘したもので、脇士の多聞天、大黒天ともども慈覚大師の作と伝わっているということです。
 弁天堂は、1945年(昭和20年)の空襲で焼失し、1958年(昭和33年)9月に再建されました。本堂天井に、児玉希望画伯の「金竜」の図、また、本堂前、手水鉢の天井には、1832年(天保3年)と銘のある画家・谷文晁(たにぶんちょう)の「水墨の竜」が描かれています。

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